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2009年7月

今日の予定

今晩は少し時間に余裕ができた
借りている本を読む日にしよう

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SNS医局

(このエントリーは、別のブログで僕が書いたエントリーを再録したものです)

以前、医局の崩壊に対する、代案がひとつあると思うって話しをした。別に、医局復活の政策とかがあるわけじゃなくて、世の中、何かの組織がなくなると、その組織が提供してきたニーズを別の形で埋める新しい何かがうまれるものだなって話。つまり、ポスト医局の医師の組織の話。

で、それに気がつくきっかけになった話を書こうと思う。

僕が今、勤務している大学で、僕と同じ年齢の外科医が、昨年、医局をやめた。
ここ数年、医局の影響力ってのは低下する一方で、多くの医師が医局を脱出している。だから、それ自体は、特に驚くほどのことでもない。で、その医師の次に行く職場は、どこで見つけてきたかって聞いたら、一昨年医局をやめた同僚の紹介とのこと。それも、別に驚くには当たらない。医局を辞めたとしても、元同じ医局だった医師同士のつながりは、そう簡単になくなるものじゃないだろうから。

ただ、その外科医と話していて、ちょっと驚いたのが、その、以前に、医局を辞めた同僚と、どうやって連絡を取り合っていたのかって話。

その先にやめた外科医とは、しばらく連絡を取り合っていなくって、昨年、ミクシィで久しぶりに見つけたという。

どうも、以前に医局を辞めた医師とか、大学時代の同級生で医局に所属していない医師とかが中心になってやっているミクシィのコミュニティがあって、それが、お互いの職場を紹介する場にもなっているという話だった。

「ほう、ミクシィですか。」

「うん、たぶん、どこの医局もそうだったろうと思うんだけれど、ちょっと前、新研修制度が始まったとき、ウチの医局でも、引き上げ命令が出たんですよ。で、そのときに、引き上げに反発して、関連病院に残った医者たちが、結構いましてね。医局と縁が切れちゃったから、お互いの連絡を取り合うために、ミクシィはじめたんですよ。」

「今は、そのコミュニティで、時々、お互いの異動の連絡もしているみたいなんですよ。」

ありえないはなしじゃないんだけれど、ちょっとビックリ。残念ながらミクシィでのコミュニティ名は聞き忘れたんだけれど、あっても不思議じゃない話。

「勤務先も、僕らも、他人のやっている人材紹介会社からの紹介よりも、よく知っている医師の紹介のほうが安心できるんで、評判は悪くないんですよ。」

医療関係者じゃないひとには、少し説明が必要かもしれない。医局っていうものについて、別の記事を書いたので、必要なら、読んでほしい。

いま、僕が、大きな動きになるかもしれないと思っているのが、この、SNSを利用した医局に代わるもの、つまり、SNS医局。

たぶん、今でも、旧態依然とした医局を通じての医師の紹介が、他のシステムを圧倒している。いろんな人材派遣会社も医療分野に参入してきた。でも、知人の医師同士で作るSNS医局ってのも、悪くないのじゃないかな。

そう思う。

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医局っていったいなんだったのだろう?

(このエントリーは、別のブログで僕が投稿したエントリーを再録したものです。)

医局ってのは、要するに、少し前まであった、医師の人事システム。

それが何をしていたのかって話の前に、医師がどういう考えで職場を選ぶのかって話をするね。

医師が、勤務先を選ぶときには、一般に、技術、カネ、コネの3つくらいが、重要になる。

まず、技術。
医師は、結局のところ、技術屋だから、新しい技術、優れた技術を学べる職場に行きたがる。あたりまえ。だって、身につけた技術は、今後、自分の飯のタネになるのだからね。だから、新しい技術を学べる病院であれば、ほとんど給与を払わなくても医師は集まってくる。極端な話、大学病院とかには給料ゼロの無給医ってのが一定数いる。あと、アメリカあたりに留学するとかいうのも金にならないけれども技術になる典型的なコース。そこまで極端でなくても、先進的な医療をできる先輩医師がいる病院には、薄給でも、その医師の技術を学ぶ(盗む)ために他の医師が集まるのだ。

次に、カネ
技術や経験が学べない病院であれば、高い給与を提示することになる。よく、ネットとかで求人募集している極端に高い給与の病院は、そういう病院。

最後に、コネ
金にも技術にもならなくても、もと上司とか、先輩とかの命令で、どこかの病院にいくってのも、結構ある。いわゆる僻地医療ってのは、たいてい、これ。これについては、また後で。

さて、技術は教えるけど給与は安い病院に勤めるってのは、技術を学ぶために授業料を(給与の一部を天引きされる形で)払っているようなものだと思ってもいい。つまり、一種の学校みたいなものなのだ。だから、僕は、こういう病院のことを、「学校型病院」って呼んでいる。反対に、給与は高いけれども、技術を学ぶことはできない病院のことを、「札束型病院」と呼んでいる。

あたりまえのことだけれど、薄給の学校型病院にずっと勤務するのは、家族も養う身としてはつらいこと。だから、学校型病院にいる間は、別のアルバイトをしたり、貯金を取り崩したりしながら、糊膏をしのぐ。そんな生活は、あんまり長い間は続けられない。だから、一定の期間、学校型病院にいたら、そのあとは、札束型病院に異動することが多い。

反対に、札束型病院にいるときは、お金がたまる。で、お金がたまったら、また、学校型病院にいくわけだ。

一般に、求人をいっぱいかけている病院は、札束型病院。だって、儲かっているからこそ、人を増やすための求人をする余裕があるんだ。でも、学校型と札束型を行き来している普通の医師は、いつもそういう給料をもらっているわけじゃない。だから、生活は、そういう求人広告にあるような給与から想像されるより、つつましいものであることが多い。

さて、そういうわけで、医師のほうは、札束型と学校型を行き来したがる。つまり、今の職場に、長く在籍したくはない人が結構いるわけだ。一方、それを雇う病院側は、安定した経営のためには、一定数の医師を多すぎず、少なすぎず、常に確保しておかなくちゃいけない。

そうなると、病院は、医師を雇うときにも、今雇おうとする医師が退職した後にも、すぐに別の医師がきてくれると望ましい。医師の側も、当然、自分がやめたあと、すぐに別の職場に移れることが望ましい。

医局講座制、いわゆる医局ってのは、それを解決する手段として、おそらく、自然発生的に生まれた。
つまり、A病院に今勤務していて、2年後にB病院に移りたいって言う医者とか、Bに勤務していて5年後にAに移りたいって言う医者とかが、よくお互いに知っている医師同士、つまり、出身の大学講座ごとに集まって、そのマッチングをする。そういうシステムが、必要に迫られて生まれたわけだ。それが、医局。

たいていは、こういう希望はお互いに完全にマッチするわけじゃない。だから、それの仲裁役の人が必要。そういう、面倒な仲裁をする人は、その医局の関係者全員が、それなりに一目置いている人じゃないといけない。というわけで、通常は、その講座の教授が仲裁することになる。

こういう仲裁を任せられる人には、結果として非常な権力が伴うことがある。だから、かつては、本当に「白い巨塔」みたいな教授もいたらしい。僕自身はそういう人には会ったことはないのだけれど。

さて、カネも技術もない、札束型でも学校型でもない病院でも、地域の医療のために医師が必要というケースがある。地方大学の教授だと、その地方のいろんなつながりがあって、そういう僻地からの要望にも応えなくちゃいけない。そういうとき、教授は、仲裁にかこつけて、医局の医師に異動命令をするわけだ。

「君の行きたいA病院は、いま、空席がないんだ。3年後には、A病院に行けるように取り計らうから、その間、大変だろうけれど、X病院に行ってくれ。」
なんて話になる。これが、さっきいった、コネで医者を集める方法。

さて、こう書いてくると、取り立てて変なシステムじゃない。似たような非公式の人材紹介システムは、いろんな種類の業界にある。僕が知っている業界でだと、Web関連業界は、はっきりと、そうだ。課長島耕作のどこかで書いてあったが、レコード業界とか広告業界もそうみたいだ。

最近、シリコンバレーに行ったWeb関連の仕事をしている友人が言ってたのだが、「シリコンバレーには、医局がある」のだそうな。日本で僕が彼に話していた、医療業界の医局にすごくよく似たシステムが動いているのだそうな。

ひょっとすると、特殊な技術が必要な業界に共通のシステムだったのかもしれない。
特に、IT技術者や医師は、自分の仕事や技術を、技術の分からない連中に評価されることを好ましく思わない。だから、同業者同士で人事を動かすシステムは、特に必要とされるのだろうと思う。

この医局、たぶん、白い巨塔の影響でだろう。よく分からないけれど、悪い医者が悪巧みをしている場所っていう、偏った報道のされ方をされ続けた。そして、世論に押された厚生労働省が新研修制度をつくって医局を破壊した。

その結果、まず僻地の医療施設、ついで、先端的医療を行う施設での人材確保ができなくなってしまったのは、新聞報道などで知られているとおり。

いまさら、元に戻すわけにも行かないけれど、旧来の医局にかわる新しい動きがあるのも、先ほど書いたとおり。だから、僕は、そんなに悲観的でもない。

必要とされる社会システムは、それを必要とする人がいる限り、必ず、別の形で復活するに決まっているから。

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つれづれなるままに

一人ブレストの続き
携帯から
カテゴリの指定方法がまだよく分からない。
家に帰ったら調べよう

さて、とりあえず、今後ブレストで書きたいというか、考えておきたいことのリスト

・先日投稿した論文について
・主観医学のためのネットサービスについて
・ASP型電子カルテのインターフェイス、運用について
・ゲームと医療について、自称スタンフォードのアレ
・フィットネスRPGの話
・まだまとまってない話

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もぶろぐてすと

てすとほんぶん

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主観的医療

ブログを使った一人ブレスト、2回目
アイデアを出したり、まとめたりするために、ブログのオーサリングツールを使って書き出してみる。
ローカルのワープロソフトでやってもいいのだけれど、どのPCからでも自由に読んだり、追加を書けるので便利。
google docみたいなツールでも、同じことが出来るけれども、こっちのほうが軽快。

そういう意味では、ブレスト用のブログツールとして、マインドマップを書いたり、いろんな図表を書いたり、もっと簡単に出来るとうれしいのだけれど。
適切なツールが見つからない。

さて、本題。
主観的医療について。

最近、健診の結果を評価する仕事が多くて、やっぱり同じような仕事を抱えている同僚たちと話していて、いつも出てくる話題。
よくいわれることなんだけれど、健診っていうのは、経済的には見合わないんじゃないかというお話。
理由は、健診で、「病気」が見つかる場合には、ほぼ間違いなく、「自覚症状」がすでにあるから。例外は、最近流行の、いわゆる「メタボリック・シンドローム」なんだけれど、これにしたって、「自覚症状」は、すでにあるといってもいい。肥満を自覚してない肥満はほとんどいない。
であれば、健診なんて、自分で「症状」がある人だけに受けてもらえればいいんじゃないの?
というのが毎度の話題。

案外、自分の感覚っていうのは、体調を測定するためのセンサーとしてすぐれているのだと思う。

しばしば聞く話。
どこかが「痛い」とか「調子が悪い」なんて思って、病院にいって、でも、「検査した範囲では異常は見つかりませんでした。」なんていわれて帰宅して。
それから、しばらくたってから、やっぱり、どこか、悪いところが見つかって、病院にクレームを言いにくる患者がいる。

ありとあらゆる可能性を検査で網羅することなんてできないから、そんなこと言われたって仕方のない部分も覆いのだけれど、でも、こういう話は、「自覚症状」のスクリーニング能力の高さを示しているともいえると思う。たぶん、現時点で、一般病院レベルでできる、多くの検査よりも、「自覚症状」は、病態の敏感な評価指標だと思う。

政府からは、長くにわたってコストを削減することを求められ、いろんな検査も保険の制約上、できないことも多くなってきているのだけれど、案外、「自覚症状」を中心に駆動する症状ドリブンなやり方はうまくいくのではないかと思う。

そういうわけで、以下、箇条書き

  • もし、自覚症状を中心に治療法を決定していくならば、「診断」を行わず、それぞれの「症状」に対して、対応する「病名」と「治療法」が存在することになる。たとえば、「発熱していたら、解熱剤と抗生剤を必ず投与する」といった風に。これは、小さな診療所とか救急現場では、頻繁に行われているやり方。この方法を、現在のガイドラインに代わって公式採用するならば、ほぼすべての患者に「診断」がつくことになる。また、ほぼ、「誤診」がなくなることになる。
  • たしかBMJだったと思うのだけれど、漢方がどうして効くのか?っていう話について、面白い話が載っていた。どうも「診断」がつくことが治癒しやすくするのではないかという仮説を支持するようなデータが出ているよう。現代医学で「診断」できるのは、患者のうち、6~7割程度でしかない。つまり、病院で、症状の原因を「科学的」に判断できるものがその程度しかないということなのだけれど、漢方では、9割以上が、何がしかの「診断」ができる。その「診断」が科学的に意味があるものなのかは別にして、自分の症状に対する、何がしかの「解釈モデル」が提示されることが、症状改善を促進するとのこと。たとえ、それが、非科学的な陰陽五行説であったとしても、である。うーむ。
  • プラシーボ効果ってのはそれ自体の大きさを測定するのは困難だし、通常、科学的な研究ではコントロール群での治癒例を説明するためだけにしか使われない概念だけれど、時々プラシーボ効果自体の大きさを測ろうとする研究がある。で、そういう研究では昔からある程度わかっていることではあるけれど、プラシーボ効果ってのは、「本人がその薬を信じているかどうか」は、あまり関係がないらしい。 その一方で、「キツツキのくちばしを触ると虫歯が治る」という治療法がアボリジニの社会では有効であるように、特定の未開社会でのみプラシーボ効果を発揮する治療法があることも知られている。 ということは、人間は「みんなが信じているような治療法」を受けた場合、それだけで症状が改善してしまうということなのだろう。人間は、社会的動物なのだ。
  • 症状ドリブンなやりかたは、症状を見た瞬間に治療を始めてしまうから、治療効果を測定するアウトカムとして、症状がなくなるかどうか、しか見ることが出来ない。結果として、患者満足度が高くなるかもしれない。
  • おそらく、症状については、医師よりもその病気の患者のほうがよく知っている。したがって症状ドリブン医学は、研究インフラとして患者が症状について語ったデータベースのようなものを使ったほうが効率がいいのだとおもう。たとえば闘病記ブログサイトとか患者SNSのようなものからデータマイニングするのが、未来の医学研究かもしれない。

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今後の医学と経済について

一人ブレスト一回目

医学と医療の行き詰まり

  • 高コストの原因は高齢化ではなくて、技術革新、ほぼ改善不能(クルーグマン)
  • 高コストは誤った競争によるもので改善可能(ポーター)

たぶん、ポーターのいう「誤った競争」ってのは正しい。

ただ、彼のいう「誤った競争を改善することによる、医療の経済効率向上」というのは、効果は限定的と思う。少なくとも、日本では、医療の効率を改善することで医療費の大幅な抑制ができるとか、消費税増税が避けられるとかってことはありえないと思う。

結局、新しい医療技術が生まれ、新しいサービスが提供されると、その需要が掘り起こされ、マーケットが拡大する。このマーケットの拡大が、結局のところ、医療費と医療にかかる人員が増え続けている最大の原因。

オルタナティブメディシンを推奨することで、医療費を抑制しようとしている一部のヨーロッパの政府は、結局のところ、それを狙っている。

たぶん、低成長経済のもとで医療にかかる人材が増え続けることは、経済全体の変質をもたらす。

未来の経済。

SF作品で、「ホーリーファイアー」ってのがあった。ブルース・スターリングの作品。

たぶん、あれは、十分に実現可能な社会。

遠い未来、事実上、「寿命」という概念がなくなった時代。むろん、それは、その世界のすばらしい医療技術のおかげ。その時代の人々は、寿命を延ばすための肉体のメンテナンスのために努力を怠らない。

もちろん、そういう技術があるからといって、だれもが、そういう技術の恩恵を受けられるわけではない。

カネがかかるのだろうって?

ちがう。

その時代だって、病院では、良質の労働力が不足しているのだ。

したがって、一番簡単に、最新の医療技術の恩恵に預かるためには、病院で介護や看護のボランティアをすること。

病院は、ボランティアに参加したスタッフに、優先的に医療の恩恵を受けられるクーポンを発行する。

このクーポンこそが、この時代の人々が一番ほしがる資産。

つまり、この時代の優良病院は、事実上の造幣局の機能を持っているのだ。

病院の介護ボランティアは、この時代の花形。

少し前の社会での超エリートのビジネスマンとか銀行員とか、そういう扱い。

みんな、それを模倣する。

警察官の制服も、ピンク色。

犯人を「捕まえる」なんてことはしない。

クッキーを焼いていって、

「まあ、そんなとんがっていないで、クッキーでも食べながら、おばあちゃんの話をお聞き。。」

そういって、100歳の少年を「補導」するわけだ。

そういう時代。

話がそれた。

次回は、未来の医療がどうあるべきかって話。

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links for 2009-07-18

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links for 2009-07-16

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アップル製ネットブックのうわさ

いままで、何度も出ては消えた、アップル製ネットブックのうわさ
今回のものは信用できるか?

個人的には、「小さいマックブック」は、あまりほしいと思わない(それなら、Linuxの入ったネットブックでいい)。
でも、今回の創造図のような、「大きめのiPodTouch」であれば、すごくほしいと思う。
iPhoneで一番優れていると思ったのは、小さな画面上で、大きなドキュメントをストレスなく見られること。それから、ローカルファイルをユーザーが触れないようになっていること。

とくに後者には、批判も多いけれども、使い勝手のいいASP型のサービスが増えてきている現在、大切なデータやアプリケーションはサーバーにのみ置いて、クライアントサイドは、使いやすいユーザーインターフェイスを提供することに徹するというのは、正しい方向性だと思う。

現時点では、ケータイモバイル環境でこそ、まだ便利に使えるインフラは整っていないけれども、zumodriveのようなクラウドストレージと組み合わせて使えば、ネットブック的な市場では、カテゴリーキラーになれるのではないかと思うのだ。

少なくとも、僕は買うと思う。

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links for 2009-07-14

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今日の体重

体重 100.3kg

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新しいダイエット法

今日の体重は101.1kg
実は、あるダイエット法を始めたのだ。
3日前、この「体重カテゴリ」を作ると同時に始めた。
というか、この新しいダイエット法を実験してみたくてこのカテゴリを作ったのだ。このダイエット法、オリジナルのものなのだが、僕のような、太り過ぎで忙しい男性のために、ほとんど時間と手間をかけずできる方法を考えたつもり。
この方法、医学的には大変合理的。つまり、理屈の上ではうまくいくはずである。だが、世の中には理屈でしかうまくいかない話がいっぱいある。
そういう訳で、実験を開始してみた訳だ。
うまくいくかどうか、まず試してみる。
今後、うまくいくようなら、その内容を公開したい。

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links for 2009-07-08

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今日の体重

101.5kg。
昨日より、少し減った。

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links for 2009-07-07

  • 医療情報技師の配置が機能評価に反映される事になった様子。 で、問題と思われるのは、実務で役にたったっていうような実績や経験のある医療情報技師ってのをあんまり見かけない事ですな。 医療情報技師っていう資格の保持者たちが、実務経験を積んで、現場から、必要性を認められるようになってから、それが、機能評価の対象になるなら、よかったのだけれど、新設の資格である医療情報技師が、何の役に立つのか、はっきり分かる前に機能評価の対象になってしまった。 これでは、新設のコメディカル資格によくある、新しい利権にしかならない。もとのアイデアが悪くなかっただけに残念。

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今日の体重

自分は、あまりにオーバーウェイトである。
というわけで、体重をなんとか減らさなくてはいけない。
そういう訳で、毎日体重を測定する事にした。
で、測定を忘れないために、このブログに記載する事にした。
本日は、101.9kg。

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links for 2009-07-06

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モスキート着信音のなぞ

たいした話じゃないんだけれど。

昨日のこと。

某小児科診療所にて

小学校高学年の男の子が診察室に入ってきた。

部屋の中には、彼と、ほかには、つきそいの母親と僕(医師)だけ。
と、突然、彼はなんとなくモジモジしはじめる。視線の先には、彼の手に持った携帯電話。
携帯電話を見ながら、こっちの様子を伺う。

なんとなく不自然だけれど、忙しい外来でのこと。
当然スルー。

同じ日の待合室で、別の中学生の男の子。携帯電話をいじっている。どこがというわけではないのだけれど、動作がなんとなく不自然。

その中学生が入ってきた。
診察する。ただの風邪だ。
その旨、説明している途中に、いきなり、何かに反応してビクッとする。
視線の先には、さっきからいじっていた携帯電話。

気になって、聞いてみる。
僕:「そのケータイ、どうしたの?」

彼:「えぇぇ。これですか。。いや、な、何もないですよ。」

僕:「。。。」

彼:「。。。」

数秒の沈黙。

彼:「あの、もしかして。。」
僕:「うん?」
彼:「聞こえるんですか?」
僕:「なにが?」

彼:「。。。」

僕:「。。。」

また、数秒の沈黙。
観念したように、話し始める。

彼:「これの着信音、モスキート音なんすよ。」
僕:「え?」

彼:「あの、大人には、聞こえないやつです。」
僕:「うん。僕には聞こえないけれど、今電話が鳴ってたのね?」
彼:「はい。メールですけど。」
僕:「友達からなのね?」
彼:「。。はい。学校のやつからのメールは、モスキートにしてるんです。」
僕:「どこで、手に入れるの?そんな着メロ。」
彼:「ダウンロード。ネットで。」

ふーん、そうか、モスキート音か。。。
ふと思いついて、聞いてみる。

僕:「ね、それ、授業中に、その音で、メールやりとりするんでしょ?」
彼:「えぇっ!」

彼:「。。。はい。そうです。」

僕:「学校の先生は、気づかない?」

彼:「。。。 はい。聞こえないみたいですから。」

彼:「でも、テストとかの時には、モスキート、使わないようにしてるんです。カンニングとか、よくないし。」

僕:「授業中のメールも、よくないと思うよ。」

彼:「はい。」

彼:「あの、先生は、これ、聞こえるんですか?」

僕:「聞こえないよ。僕だって、もう30台の後半だもの。」

彼:「じゃ、どうして、わかったんですか?」

僕:「あ?しぐさだよ。キミの。」

彼:「しぐさ、ですか。」

僕:「うん。」

僕は、ニヤニヤ笑いながら、続ける。

隠し事しているつもりかもしれないけれど、しぐさが不自然なんだよ。
キミは、大人の前でポーカーフェイスを気取るなんて、まだ早いってことだな。

もうすこし、人生経験をつんだら、ポーカーフェイス、できるようになるよ。
その代わり、モスキート音も、聞こえなくなると思うけどね。

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ブックマークの登録の試行(カテゴリ作成)

おい、ゆとり、コンテンツの値段の決まり方をおしえてやる - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

大変勉強になった。 コンテンツ関連のいわゆるギョーカイの構造ってのは、外から見ていると、いろいろ不思議に思う事があって、よくわからない部分が多いんだけれど、この方向性ですこし経済学的に考えていくといろいろ分かるかもしれない。 ひとつ分からない事があって、コンテンツの開発にかけるコストを増やすほど、コンテンツ販売による利益の期待値が増えるということのようなんだけれど、その、増加速度は、徐々に増えていく(収穫逓増)のかな? それとも、徐々に減っていく(収穫逓減)のかな? もし、コストをかけるほど、より売れるものが作れて、しかも、販売量が加速度的に増えるのであれば、将来の市場の定常状態みたいなのは、圧倒的に巨大な資金をかけた巨大コンテンツがごく少数だけ存在する独占状態に行き着くことになる気がする。 反対に、もし、徐々に利益が減っていくならば(「ヒットが確実なくらいお金をかけたら、ヒットしても赤字」という表現があるけれども、それは、これを示唆しているように思える)、比較的小さなコンテンツが多数存在する市場に行き着くのだろう。

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マイケルジャクソンの名前のなぞ

たいした謎ではないのだが。。。

一昨日、某小児科診療所にて

4歳子供「しってるー?」

僕「なに?」

4歳子供「じゃいけるまくそん死んだってー」

僕「マイケルジャクソン、でしょ?」

4歳子供「そう、じゃいけるまくそん!

どうも、彼にとっては、かのKing of Popは「じゃいけるまくそん」らしい。

それを聞いた診療所の看護婦

「そういえば、うちの妹も、むかし、『じゃいけるまくそん』って言ってた。」

ということは、マイケルジャクソンを「じゃいけるまくそん」と呼ぶ言い間違いは、普遍的なのか?

というわけで、昨日、調査してみた。

目的

幼児が、マイケルジャクソンを「じゃいけるまくそん」と呼ぶいい間違いの頻度を調べること。

方法

通勤前に、マイケルジャクソンの写真の載ったスポーツ紙を購入。幼児に写真を見せ、「この人の名前、知ってる?」と質問した。実験対象は、埼玉県某保育園の4〜6歳の幼児8人。

結果

回答の多い順に

じゃいけるまくそん! 3人

知らない 3人

マイケルジャクソン 1人

じゃいけるじぇいそん 1人(誰だ、それ?)

お母さん! 1人(お前、だれ?)

不可解な回答も見受けられる上、調査対象者数も限られており、「じゃいけるまくそん」が幼児の中で普遍的かどうかの結論を出すには、さらなる調査が必要と思われる。

いや、ただそれだけです。

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