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2009年8月

鳩山新政権は「反小泉改革」ではなくて「超小泉改革」

民主党の政策に関して、かなりの人がバラマキだっていうけれど、そうでもないと思う。

あのマニフェストは、内容を詳細に見ると非常に自由主義的な内容で、小泉改革の推進(あるいは補完)のように見える。あれをじっくり見ると、小沢一郎って言う人は、「日本改造計画」のころから、大きくは変わっていないんだなと思う。
あれは、社会民主主義的バラマキに見せかけた、実質的な自由社会主義的改革政策のセットだと思う。

小泉元総理は、理念としては明快な自由主義を掲げていたんだけれども、実際には、かなりムラのある政策を実行したと思う。彼の在任期間中に、「改革」がほとんど進まなかった分野と、比較的スムーズに進んだ分野が混在している。

たぶん、あのムラは意図的だったんだとおもう。

発足当時、党内基盤が強いとはいえなかった小泉元総理は、「痛みを伴う改革」をすべての業界に対して求めるわけには行かなかった。
その結果、彼の政敵であった平成研を中心とした「抵抗勢力」の地盤を切り崩すような「改革」は、優先的にスケジュールされたが、その一方、彼を支持する連中の既得権益を危険にさらすような「改革」は、後回しとなった。
たぶん、そうしなかったならば、小泉改革は「二正面作戦」を余儀なくされ、より大きな抵抗を受けることとなっただろう。ひょっとすると政権は短期間で崩壊していたかもしれない。

たぶん、二正面作戦を避けるためにも官僚機構を味方に付けておく必要があったのだろうと思う。使い道を官僚が決められるような、利権にかかわる予算は、ほとんど減額していない。
多分、このことと、「政府の無駄を省く」という理念のつじつまを合わせるために、小泉政権は、使い道を官僚が決められないような予算、つまり、社会保障などの所得再配分に関連する予算を中心に削減することになった。

今回の民主党の政策は、建前としては、小泉改革の是正、行き過ぎを正すこと、を目標にしているように見える。2009年現在、小泉改革の評判は決してよくないし、民主党の郵政民営化反対くらいしか政策らしい政策のない政党とすら連立を組まなくてはならない立場を考えれば、当然のことではある。
ただ、あのマニフェストの内実は、どう読んでも、小泉改革の「行き過ぎ」を正すことではなくて、小泉改革の不徹底だった部分をよりラジカルに改革すること、ではないか。

大体、内容の多くが、かつて清和会が掲げていたものに酷似しているような気がするのは、僕だけだろうか?

懸念されている、あの16兆円の「財源」についても、案外うまくいくのではないかと思う。
たぶん、今はまだいえないだろうけれども、今回の選挙で自民党を支持した連中や、鳩山改革に反対する連中の利権を削減するつもりなのだろうとおもう。つまりは「報復予算」。
そういうやりかたは、ある種の「正義」に反するかもしれないが、自分の生活がよくなるのであれば、一部の人の利権が削減されても、だれも気にしないのではないだろうか。

「無駄を省いて財源を確保する」というのは、たぶん、単なるスローガンに過ぎない。そもそも、国家予算の中で、無駄な部分をきちんと識別するというのは、それだけで大変な労力を要する仕事だし、それ自体にかかる予算を考えたらほとんど不可能であろう。

だとすると、たぶん、小沢も鳩山も変節していない。
この国で自由主義的改革を訴えることは、大きな抵抗にあう。
あのマニフェストは、その抵抗を排除するための一種の詐術なのだろうと思う。
ちょうど、アウグストゥスの帝政の導入が、「共和制の復活」を偽装して行われたように、民主党のバラマキは、リバタリアニズムが、バラマキを偽装してやってきたのだろうと思う。

あの民主党のマニフェストは、マキャベリ的な読み方をするべき文書だと思う。

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新薬の作られない世界

最近、新しい薬が、だんだん作られなくなっている。
まれに新薬の話がでても、たいていは特殊な体質の人にしか使えないとか、マイナーな疾患にしか効かないとかで、あんまり、開発しても製薬会社に「うまみ」がありそうには思えないものが多い。おそらく、マーケットの大きい、うまみのある薬の多くはすでに開発され尽くしているんだろうと思う。

人間の体に影響を与える多くの薬物は、抗生物質の類を例外とすれば、そのかなりの部分が細胞膜上のレセプターをはじめとする人間の体を構成するたんぱく質に結合するという方法で効果を及ぼすわけで、また、その、人体のたんぱく質の種類っていうのは有限なわけだから、だから、そもそも科学的に合成しうる薬物の薬効の種類自体、有限なのかもしれない。

数年前、ある大手製薬会社の経営トップが、近所の大学に講演にきて、そのときに、「新しい薬を開発するっていうのは、新大陸を発見するようなロマンのある仕事だ」って、学生相手にアジテーションしていた。
たぶん、彼は、彼を演者として呼んだ大学との関係もあって、そういわざるを得ない立場だったんだろうけれども、でも、そのとき、彼の率いる製薬会社は新しい薬の特許料で儲けるというビジネスを放棄して、その代わり、既存の薬を他社よりも安価に作れる会社として生まれ変わろうとしていた。
そのために、新薬開発の規模縮小を着々と実行していて、その一方で、途上国に大規模な生産拠点を作る計画を立てていた。

彼の会社は、リストラの一環として、大学の研究室に寄付もしていた。
意味がわからない?
自社の研究所の使えない研究者をクビにすると角が立つから、クビにする代わりに、大学に任期つきの教員として雇ってもらうのだ。その代わり、会社は、研究室に、いくばくかの寄付をする。企業から見ると、若干の寄付で、サラリーマン研究員の解雇に伴うトラブルを避けることができる。
リストラされる本人から見ても、見た目の上では、企業の一介の研究員から有名大学の准教授への栄転だ。ただし、数年後には安定したサラリーマンの給与を失う条件付なんだけれど。

あの製薬会社のトップの講演も、そういう、人員整理に協力する大学のためのリップサービスとして行われたものだったと思う。

ここ数十年で、新しい薬品開発するために必要なコストって言うのはだんだん高くなってきて、さらに、新薬開発の成功率も下がってきていて、しかも、新しく作られた薬の市場は、どれもこれも非常に小さい。
だから、多くの製薬会社は、その会社と同じように、新薬開発をあきらめ、価格競争に活路を見出そうとする。

僕は、新薬が開発されなくなる時代っていうのは、非常に近いとおもっている。

あの製薬会社社長の言った、「新薬開発は新大陸発見」というのは、実のところ、非常に正しいアナロジーだったのかもしれないと思う。
16世紀、新しい陸地を「発見」することは、ヨーロッパ諸国に莫大な利益をもたらした。けれども、地球は有限である。新しい陸地、少なくとも、ある程度のうまみのある大きな陸地は、ほんの数十年の間に発見され尽くしたのだ。

一切、新薬が作られなくなるとしたら、医療の世界はどうなるだろう?
無論、新薬が作られなくなることは、医学の進歩がなくなることを意味するわけではない。
既存の薬の組み合わせについて考えたり、栄養のとり方や運動、ぼくが専門にしている内科的な分野だけでも、まだまだ発展の余地は大きい。
でも、新薬が作られ続けている世界とそうでない世界では、おそらく、医療分野の、特に経済の目で見た景色は大きく違って見えるだろうと思う。

たぶん、それは、僕たちが、もうすぐ生きることになる世界だろうと思う。

参考:バイオベンチャーが成功しない理由って何ですか?

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ピペド問題は理学部生物学から逃れても続くんだよ

まず、ここまでの経緯

数日前、はてなのアノニマスダイアリーに「ピペド問題」について、問題提起する記事がでた。
この記事が告発する「ピペド問題」の深刻さに驚くギャラリーによって、当該エントリーはすぐさま炎上した。
僕自身も、この件に関してワープーになりたくない生物系学生は数学を勉強せよという記事を書いた。
翌日、そのエントリーが別のブログ「皆殺しの天使」からの無断転載であることに気付かれ、炎上は転載もとのブログに移った。
結果、その2日後の現時点では、「皆殺しの天使」はすでにアクセスできなくなっている。

さて、その「皆殺しの天使」に対する下記の記事から
出身学科は就職機会に関係するけど就職後には関係しないの下記のコメントについて(本来ならば、先方のコメントに書き込むべき話だったのかもしれないけれども、なぜかうまく書き込めなかったため、こちらのブログに書く)。


ご紹介のエントリーを通して私が理解した点は以下のとおりです。

1. 分子生物学の主たる研究テーマは新事例の収集である
2. 新事例は最初に報告した人間の成果となるので、速度がもっとも重要である
3. そのため、世界中で新事例の発見競争が勃発している
4. 新事例の収集を行うためには、ピベドと呼ばれる単純作業を行う人間が必要不可欠である
5. 研究成果(新事例の収集)がないと研究費を得られず研究を続けられない
6. 日本のほとんどの大学にはテクニシャンがおらず、学生を労働力として使用せざるを得ない
7. その結果、学生は学部4年生~大学院時代にかけて労働力として扱われ、実用的な専門知識を身につけられない
8. 日本の分子生物系にはこのような事実があるので、高校生は分子生物系への進学は止めた方がよい。


僕の見聞きする範囲では、このうち、6は、おそらくピペド問題とは関係ない。
僕の多くの知人が、医学部の、いわゆる「基礎医学」の研究室で分子生物学の研究に従事していて、僕も時々、そういう研究室に遊びに行く。
この医学部の基礎というやつは、研究手法は理学部生物学科とほとんどかわらない。
つまり、「ねるねるねるね」を使う実験係を大量に動員しての調査。
でも、たぶん、理学部生物学科の大学院よりも研究予算は潤沢で、普通はテクニシャンを雇う程度の余裕はある(もちろん、研究室によってはないこともある)。
ただし、テクニシャンを雇っているからといって、学費を払っているピペドがいないわけではない。もっぱら、医学部修士課程の学生がピペドとして動員されていることがほとんど。かれらは、自分たちより低学歴かもしれないテクニシャンと並んで「ねるねるねるね」をいじっている。ちなみに、同じ作業をしているテクニシャンより労働時間は長いことが多い(ただし無給)。
たぶん、マンパワーが必要な現場で、現場監督(教授)の権力に従順な人がいたら、どうしたって労働力として使われるしかない。マンパワーがあればそれだけ実績につながる(と信じられている)現場で、必要な奴隷の数に上限はない。テクニシャンを雇えたとしても、安価な奴隷の「利用価値」は高い。

だから、

中期的には国が生物系の研究を維持したいのであれば、大学を含む研究機関がテクニシャンを
雇えるようにするしかないでしょうね。それこそ、高卒者の就職対策として。

というのは、学生が適切な教育を受けるためにはほとんど助けにならないと思う。

さて、僕などは、こういう研究室の学生には、しょっちゅう専攻の変更(もしくは就職)を勧めている。
だって、奴隷でいたって将来につながらないのだから。
でも、そう言っても、専攻を変えたり就職したりする学生はまれだ。
かなりの数の学生は、
「この大学院にいたら、将来暗いのはわかっているけれど、自分はコミュニケーションが苦手だから、就職してやって行く自信がない」
「自分が他分野に行って、研究できるとは思えない(難しい数学とか英語とかわからないけど、ピペドなら、自分でもできる)」

こういう学生たちの自信のなさは、ある意味でやむをえないことではある。彼らは、大学生の後半、つまり、通常であれば、多くの勉強をして、友人や教官と議論をしたり、また、アルバイトをしたり、就職活動をしたり、そうやって学問的にも人間的に成長する大切な時期を、完全に奴隷として奪われてしまったのだ。その分、コミュニケーション能力や科学的な思考力が、おそらく高校時代には同程度の学力だった彼等の友人たちに大きく劣っている(少なくとも本人たちは、そう思っていることが多い)。

また、ひどい場合には、学部時代の指導教官から、
「君のようなコミュニケーション能力のない人間は就職しても、ろくな社会人になれないから、大学院にくるしかないよ。」
とか
「分子生物学の研究ならば、手を動かすしか能がない人間でも、やっていける。でも、他分野では、君のような頭の悪い人間は留年を繰り返すだけだよ。」
みたいな言葉を言われ続けていたやつもいる。
大人の目から見ると、そういうことを言う教官たちが、単に労働力をほしいだけなのははっきりしている。でも、まだ世間を知らない学生たちは、奴隷扱いされ、友人と会う時間もなくなり、そして、こういうことを周囲から言われ続ければ、確実にスポイルされる。
たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけないの著者は、そういう境遇にいたのだろうと思う。

僕のよく知っている、医学部修士課程の学生たちのほとんどは、理学部の学部時代にそういうことを言われて、奴隷扱いされて、それに耐えられなくて、で、医学部の大学院に移ってきた連中だ。
彼等の大部分は、医学部の基礎でならば、彼等の唯一身に付けた「技術」である、ピペット操作を役立てることが出来るし、それに、医学部ならば、理学部と違って、実際に役に立つ「何か」を身に付けられるかもしれないと考えてくる。そういう希望的観測が誤りであることを気づくチャンスは、院試を受ける前に、いくらでもあるのだけれど、でも、理学部生物学科にいる彼らの多くは、医学部の院への進学を「地獄に下りてきた一本だけの蜘蛛の糸」だと思っているから、不安を頭から振り払い、時々垣間見える不吉な未来に目を閉ざし、そうして、「蜘蛛の糸」を通って別の地獄へやってくる。

ようこそ、奴隷諸君。

僕は、彼らは、大学院をやめたほうが幸せになれると思っている(彼等の多くも、それに同意する)。
でも、外の世界に行くには、彼らには、もっと自信が必要なんだと思う。
現に、ほかの分野、特にほかの理科系の分野でも自分が通用すると思っている学生は、もっと自分が幸せになれる分野に、簡単に移動する。
僕が見るに、ほとんどの場合、ほかの理科系の分野で活躍できないと彼らが感じている最大の理由は、彼等の数学力の欠如である。

というわけで、やっぱり、数学を勉強しなさいって結論になるのだな。

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hiroyukikojimaの日記、一気読み

yhiroyukikojimaの日記の過去ログ読了。
数学関連のエントリーの面白さはさすが。
数学のあまり得意でない人に対しての配慮が見える書き方が、暖かい。

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ワープーになりたくない生物系学生は数学を勉強せよ

~生物系・農学系の就職について~

自分は『とにかく研究開発職に就きたい。でもドクターまではどうかと思うけど、マスターくらいは出ておきたい!!』と思い、なんとなーくな感じで、大学院へ進学しました。しかし、これがかなり危険であることを今になって身をもって分かりました。

正しい。笑っちゃうくらいに正しい。
周囲のバイオ出身者を見ていて、つくづくそう思っている。

ただし、そうなってしまう理由として、以下の認識は間違っている。
「バイオ批判」 まとめ 生物系の学部・学科を目指している人へ


自分の経験から思ったことなんですけど、生物系・農学系は医歯薬と違って資格という資格も無いので、修士へ進学することも結構危険で、博士へ進学することはもっと危険なのだと実感しました。なぜって社会のニーズが本当に無いんですもの。

大学で教えたことがあれば嫌と言うほどわかるが、そもそも、どの分野にせよ、日本の多くの大学で教えていることは、そのままの形でビジネスに役に立つことなんてほとんど無いのだ。

つまりは、「ねるねるねるね」 とは、生物学系の実験室で行われている実験作業というものが、「ねるねるねるね」 を作るということと同レベルに簡素で、続けていても何の身にもならないことを意味するものです。

分子生物系実験室で使われる試薬などはすべてキット化されており、キットを開いて説明書どおりに手を動かせば、誰でも簡単に、あなたのオカンでも簡単にその場でできてしまいます。
生物系では、この単純な作業を延々と続けるわけです。


ニーズのある技術を身につけても、その上手なプロモーションをしたり、その応用を考えたりってできなかったら、それじゃあ、結局、少し他人にとって使い勝手のいいドカタでしかない。
ワープーの看護師や歯医者なんて、いっぱいいる。

もし、「ドカタ」をしたくないのならば、必要なことは、そういう「技術」じゃない。
もっと応用の利く「法則」を学ぶことなのだと思う。

たぶん、生物系出身者に比べて、理数系出身者のほうが給与が高めになるとしたら、前者が、さまざまな事物を列挙するだけの「博物学」であるのに対して、後者が、(時にあまりに大雑把な単純化をしているにせよ)「法則」を志向する態度を身につけるからだろう。大雑把でも応用の利く「ルール」を考えることは、ビジネスのためのしくみを考えるためにも良いトレーニングになる。それに、「博物学」の応用分野は、その性質からして労働集約的なビジネスになりがちなのだ。

もちろん、これは、大学の出身学部がどうであれ、個人としての努力でどうとでもなる話でもある。

だから、ワープーになりたくない生物系学生は、自分で時間を作って数学を勉強しなさい。

僕自身、学生時代に数学を学ぶ時間をもっと作るべきだったなと思っている。
もちろん、今からだって遅すぎるってことは無いので、いまも勉強しているわけなのだけれど。

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医者は病院にかからないのか?-医師国保組合の不思議

僕は、フリーランスの医者なので、国民健康保険に入ってなくてはいけないのだけれど、最近、東京都の医師保険組合のページ

を見て保険料が安いことに気づいた。で、これに入ろうかなと思っていたんだけれど(僕にも加入資格はあるみたいだ)。見ているうちに、いろいろ、気になるところがでてきて、考え込んでしまった。

正組合員一人月額17000円(組合員家族一人につき7000円)ってのは、自治体国保や一般の社保より確かに安い値段だ。月額17000円(扶養家族なし)てことは、年額20万4000円の保険料。

通常の自治体国保は、所得や住民税額によって保険料が変わるけれど、月額20万4000円ってのは、僕の住んでいる東京都文京区

では、住民税を14万2820円支払っている人の金額。


総務省発表のモデルケース

からすると、独身者では、年収300~350万円くらいの金額と思う。


つまり、決して高所得者とはいえない人向けの値段だ。

で、疑問なのは、こんな値段でどうしてやっていけるのかってこと。

はじめ、国庫補助が沢山出ている、つまり、東京の開業医がエコヒイキしてもらっているってことなのかなと思ったのだが、どうも、そうでもないらしい。

調べてみると、日本中どこでも、医師国保組合は、保険料が安い傾向にあるみたいだし、それに対する国庫補助も32%しかない。この数字は、他の国保組合に比べても、ずっと低い数字で、国庫補助の最低ラインだ。

これが意味するところは、医師自身への医療は、安上がりになる。つまり、医師は、他の職業の人に比べて、あまり病院にかからない傾向にあるということなのだろう。

これは、面白いかもしれない研究テーマ。


医学教育をうけると、病院や医療にかからなくなる傾向にある、としたら、一般向けに医学教育を行うことは、疾病予防などの効果があるってことなのかもしれない。


その投資効果ってのは、どれくらいだろう?

ウェブで調べていたら、こういう文章

を見つけた。

医師国保組合には自家診療の給付制限

というのがあるらしい。

うーん

つまり、僕自身(とその家族)が、僕の勤務先で治療を受けるとき、もしくは、僕自身が僕の家族を治療するときには保険がきかないってことか。

たぶん、架空の医療費請求を防ぐためなんだろうけれども、不便だという印象。

うーん、でも、保険料が安くつくのは魅力。入ろうかな。


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SDIとMDI タブブラウザやIDEは時代の流れに逆行しているのか?

SDIとMDI

むかし、GUIアプリケーションはSDIとMDIのどちらがいいかという論争があった。

MDIってのは、ひとつの親ウィンドウがあって、親ウィンドウの中に、子ウィンドウが入っている形式のもの。SDIってのは、その親ウィンドウにあたるものがないもの。よくわからなければ、こちら
とか、こちら
をみてほしい。

本来、複数のアプリケーションを同時に使わなくてはいけない局面では、ユーザーがアクセスしているドキュメント単位で操作するSDIが自然。MDIのように、自分が利用しているアプリケーションの区別を不必要に意識させるのは、操作や表示が複雑になるだけで、あまり好ましくない。

ユーザーが操作している本質的なオブジェクトは、結局、アクセスしているドキュメントそのものだから。アプリケーションは、そのオブジェクトの操作方法、メソッドの集合でしかない。

それでもアプリケーションの違いを強調するようなMDIが昔は便利だった。その理由は、

1、昔、メモリが効果であった時代、メモリを節約するためには、多数のアプリケーションを同時に立ち上げることを控えなくてはならなかった。そのため、自分の立ち上げているアプリケーションを意識させるインターフェースはメモリ節約のためにも有用であった。

2、OLE(もしくはActiveX)が不完全で、異なるアプリケーションの間で、カットアンドペーストなどで、データのやり取りをすることが、今ほど簡単ではなかった。そのため、ユーザーは、データを作成したのが、いったい、どのアプリケーションなのかを意識しておく必要があった。

3、各アプリケーションのインターフェースがいまほど、統一性がなかった。

といったところだと思う。理由のほとんどは、すでに、過去のもの。

現在、MS-ExcelなどMS製品も、MDIを避けて、SDIに移行してきている。

ただ、ものには例外がある。

時代に逆行して、むしろ、SDIからMDIに変化してきたのは、たとえば、ウェブブラウザ、開発環境、ファイラといったところ。

ブラウザについて

近年のブラウザは、いわゆるタブブラウザという方式が主流になっている。これは一種のMDI。これは、SDIに対するほかのアプリケーションの流れに逆行している。

ブラウザの場合、どうして、MDIのほうが、便利だと感じるのだろう?

ブラウザは、ひとつの理由はブラウザがemacsのように万能のアプリケーションに変化したことだと思う。最近は、何をするときでも、ウェブブラウザさえあれば事足りるようになってきた。ほとんどの仕事が、1種類のアプリケーションでできるため、SDIでもMDIでも、ほとんど違いがないのだ。

こうなると、むしろ、ウィンドウの数を減らせるという、MDIのメリットが効いてくることになる。

開発環境について

MDIの開発環境、いわゆるIDEが普及したのはなぜだろう?

IDEのMDIは、ただ単にウィンドウが複数あるだけではない。ファイラ的な動作をするプロジェクトマネージャやクラスブラウザがついてくる。このプロジェクトマネージャが扱うプロジェクトというのは、コンパイルや配布の単位でもある。

たぶん、Javaなどのようなmake動作が必要な言語でIDEが優勢で、perlやrubyのようなインタプリタ言語では、それほどでもないのは、そこに理由がある。

反対に、SDIのメリットは、複数の種類のアプリケーションで、複数の種類のファイル、たとえば、画像とテキストとかを同時に扱うときに画面がシンプルで統一的になること。プログラマが扱うのは、テキストという単一の種類のファイルだけのことが多い。この点でも、MDIと相性がいい。

主流のMDIに対して、僕が、開発環境としてSDIのテキストエディタを使うのは、僕の開発案件に、次のような条件がそろっているからだと思う。

1、たいてい、コンパイルが不要なインタプリタ言語を使う。

2、手元に、クラスブラウザの代わりになる、扱いやすいファイラがある。

3、プログラムと同時に画面デザインもしなくてはいけない。画像ファイルなども、開発時に同時に扱う必要がある。

LLが主流になるにつれ、IDEでの開発にこだわらない人が増えてきた。今後は、開発もSDIの時代だ思う。

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S言語ファミリーとUNIX

友人に、SAS使いの統計家がいるのだけれど、そいつがS言語を学びたいというので、しばらく前に、彼とR言語について話をした。で、彼が言うには、どうも、彼にとってはS言語は(そしてR言語も)非常に難しいってこと。

R言語も、S言語も、比較的シンプルな言語で、ま、難しい使い方をすれば、難しいこともできるけれど、簡単な仕事は、簡単にできる言語。

彼は、僕をはじめとするR使いたちを見ていて、
「いったい何をしたいのかわからないことがある。」
という。
R使いの流儀では、まとまったプログラムをはじめに作らないで、ごちゃごちゃと、短いプログラムを作っているうちに、統計的な結論が出てくる。
あれは、いったい何を作っているのだ?
と彼は聞く。

僕には、彼が、Sの何が分からないのか、よく分からなかった。で、いつも、口数が多い僕にしては珍しく、相手の言っていることをじっと聞いていたのだが、聞いているうちに、なるほどと理解したことがあった。

たぶん、これは、GUIは分かるけれどもUNIXのコマンドラインが難しいっていう初心者rootと同じ原因で起きている症状だと思う(あるいは、PerlやPythonを使ったシステム管理が苦手な人たち。)。というのは、S言語について、彼が使いにくいって言っている部分は、S言語のUNIX的な部分のことなんだ。

もちろん、勉強がすすめば、他にも、いろんな壁があるかもしれないけれども、とりあえず、どうも最初の壁は、UNIX的な考え方になじみにくいってところみたいだ。UNIX的な考え方のツールってのは、それなりの利便性があるから、ああいう形になっているのだけれど、UNIX的な考え方になじみのない人にとっては、ユーザーフレンドリとは言いがたい。

でも、みたところ、SとかRの参考書で、その背景にあるUNIXの思想に触れているものはあんまりない。

で、以下は、S言語とR言語のどんなところが、UNIX文化の影響を受けているかの話。

歴史の話だけれど、確認しながら書いているわけじゃないし、現在のSやRから、僕が想像して書いている部分もある。だから、この文章を読んだ人で、間違いに気がついた人がいたら、教えてほしい。

R言語ってのは、S言語のファミリーのひとつだ。

もともと、S言語ってのがあって、で、それのGNUによる拡張がR言語。

で、その、元になったS言語ってなんだってことになると、これは、統計解析に特化した機能をもった言語ってのが、答えになる。

というわけで、ここでは、まず、S言語の話をする。

S言語は、UNIXやC言語を生み出したベル研究所で、それらよりも若干遅れて1980年代初めに開発された。当時のSの開発目的は、探索的データ解析を支援することであったらしい。

探索的データ解析ってのは、統計の研究スタイルのひとつ。1960年代から、Tukeyって人が、提唱していたやりかた。いろんな点で、古典的なスタイルと異なるのだけれど、そのひとつの特徴がモデルを作る前に、データをいろんな視点から見ることが大事だって考え方。

つまり、結論を急がず、とりあえず、元のデータをいろんなグラフにしたり、表にしたり、いろんな見方でじっくり見ようってこと。いわば、データを使って実験するみたいなもの。

そのためには、


  1. いろんなデータ処理をインタラクティブにすばやくできなくてはいけない。
  2. 必要に応じて、既存のデータ処理方法を組み合わせて、手軽に新しい処理方法を作れなくてはいけない。

そうしなくては、データを、思いつくままにいろんな見方で見ることはできない。

当時、大規模なデータ処理ってのは、たいてい、IBMの大型機で行われるものだった。そして、大型機はどのような計算をしたいかあらかじめ計画を立てて、バッチ処理で動かすものだった。だから、探索的データ解析みたいに、いろんなデータを使った実験を手軽に行うのは困難だった。

SASっていう統計言語は、当時のIBMの大型機の文化を引きずっている。この言語は、fortranや昔のBASICに似た言語。で、必要な処理は、すべて、バッチプログラムにして解析を行う。これでは、探索的データ解析は難しい。

探索的データ解析には、シェルを使ってインタラクティブに操作できる端末と、データを蓄積したサーバーのネットワークが必要だったんだ。

S言語は、そういうニーズから生まれた環境のひとつ。ベル研の連中は、UNIXワークステーションが開発されたとき、このマシンを使えば、つまり、UNIX端末からデータを扱うためのシェル環境があれば、探索的データ解析が簡単に可能になることに気がついた。この統計用シェル環境のアイデアは、1984年、Sシステムとして発表されることになる。

Sシステムのシェルコマンドの構文には、C言語の構文を真似たものが採用された。おそらく、C言語は、当時のベル研のUNIXエンジニアにとって、もっともなじみやすい言語であったからだと思う。

また、Sシステムのシェルからは、コマンドを入力すればインタラクティブにデータを操作できたし、コマンドを並べることでスクリプトを作ることもできた。

つまり、この新しいSシステムは、スクリプト言語としても利用可能なコマンドインタプリタであるという点で、UNIXシェルに似ていたが、制御構文などの文法はC言語に似た、いかにもUNIXとC言語の文化を引き継いだものだった。

また、Sシステムは、統計データの取り扱いの機能以外はほとんどなく、統計処理のために必要ないと考えられたオペレーティングシステムの機能へのアクセスは、ほとんどできなかった。Sシステムは、初期のUNIXツールらしく、問題の80%を解くためのシンプルな機能のみ実装するという方針で作られていたため、統計処理に必要性が少ないと考えられた機能は、実装されなかったのだろうと思う。

もし、そういったSシステムが実装していない機能が必要なユーザーがいたらどうすればよかったのだろうか?この場合のSシステムの解決策も、いかにも、UNIXツールらしい方法が用意されていた。つまり、必要な機能を持った他のUNIXツールと組み合わせて利用するのである。その目的のため、Sシステムの出入力は、他のUNIXツールに理解できるよう、シンプルで、短いものが多い。同時に不慣れな人間にとっては不親切である。

やがて、Sシステムは様々な拡張の結果、コマンドインタプリタから、完全なプログラム言語へと進化した。1988年には、プログラム言語仕様としてのS言語の仕様がまとめられた。

現在、よく使われるSの実装には、2種類。オリジナルのS言語を簡単に扱えるようにした、サポート付きの商業ベース環境のS-PLUSと、GNUによるSの拡張言語、R言語である。

R言語は、ほとんどの点でS言語互換であるが、GNUらしく、Lisp風の文化の影響を受けている。つまり、R言語は、見た目は、C言語風だが、実際は、LispとかSchemeのような、関数型言語なのだ。scheme風の言語に、S言語風のステートメントを追加したと言ってもいいかもしれない。

さらに、Sに比べ、大幅に機能が追加されている。なので、本来のUNIX風の禁欲的な匂いよりも、emacsとかと同じような雰囲気、つまり、頭頚関係なら、なんでも一つの環境でやってしまおうってノリを感じる。つまり、統計関係のキッチンシンク。

さて、というわけで、彼にはLife with UNIX―UNIXを愛するすべての人に

UNIXという考え方―その設計思想と哲学

を薦めた。これらの本で出てくるUNIX的な考え方ってのは、現在でも、コンピュータで仕事をする人たちには重要で、役に立つ。効率的に仕事ができるようになること請け合い。

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この村の村民は、死ぬことを禁ずる

フランスの村で、死亡禁止の通達


2次情報どころか、3次情報以上なので、この話、どこまで本当かさっぱり分からないのだが

フランス南西部にある人口約260人の村の村長が、住民に「死亡禁止」の通達を出した。 違反者は厳しく罰する、としたヘンなお達し。理由は、村の墓地が満杯でこれ以上埋葬する余裕がないから。墓を持っている者以外は死ぬなというのである。
冗談にしか聞こえないのだけれど、でも、この種の話、日本でも、あっても不思議ではない。

たぶん、法律で人の生死を規制できると考えている人が多すぎるから。

こまったもの。

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ボディマップの進歩が止まってしまった。

登場時には、感動したサービス、ボディマップ
昔こんな風に書いた。


これはすごい。こんなのがほしかったんだと、一瞬で理解した。感激!
BodyMap
ブラウザ上でぐりぐり動かせる解剖図。

これで、
1、各臓器の断面を自由に見ることができる。
2、コトバをタグ付けできる。(google mapみたいに)
となれば、いま、医療関連で問題になっている、オントロジー関連の問題のうち、解剖関連のものは、自然に決着してしまうだろうな。

圧巻。

これのAPIが発表されたら、ぜひ、これを利用したウェブサービスを作ってみたい。


それから2年近くたって、ぜんぜん進歩していない。
この種のサービスの進歩が遅いのはなぜなんだろう?
何が問題なのだろう?

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医療のマニュアル化できない部分

ずいぶん昔に書いた記事の再収録。今でも言いたいことはこれに関してはほとんど変わっていない。


友人の統計学者は、かなり頭のとんがった奴。

彼の主張。医師は、可能な限り統計的に信頼できる証拠に基づいて、治療方針を決めるべき、とのこと。

意味がわかりにくい?


たとえば、ある病気に、効くかもしれない治療法が2つあるとする。仮に、治療法Aと治療法Bとする。で、医師は、どっちの治療法で治療したほうがいいのか迷っているとしよう。医師ってのは、体の不調を治す修理工みたいなものだけれど、少し自動車やコンピュータの修理工と違うところがあるんだ。それは、修理の対象である人間ってのは、ものすごく複雑で、現代科学をもってしてもどういう仕掛けで動いているのかよくわからない「機械」だということ。仕組みがわからないのだから、A、B二つの治療法は、いずれも確実に効くとは言い切れない。せいぜい、確率的にこれくらいってことが言える程度。たとえば、Aだとこの病気が治る確率は何パーセントといった具合。


こんなとき、医師は、どういう風に治療法を決めたらいいのだろう?


AとBのどっちにしても、確実とはいえない。だったら、これは、一種のバクチみたいなものだ。バクチなら、勝つ確率が高いほうを調べて賭けたらいい。


たくさんの医療機関で、AとBのそれぞれの治療法で患者を治療した結果をみてみよう。できれば、同じような患者を集めて、ランダムに二つの種類の治療法で治療する。それができなければ、いろんな医療機関での治療結果のデータをもらってきて調査するのでもいい。


そうして、もし、Aのほうが成績がいいなら、Aのほうが優れた治療法だってことになる。つまり、治療法Aが優れているんだと実験で証明されたんだ。だったら、治療法Aを採用すればいい。無論、反対だったら治療法Bを採用すればいい。で、もし、治療法Aがすぐれているのだったら、治療法Aを日本中で受けられるようにするべきだ。そのためには、ほげほげ病は全て治療法Aで行うことっていう治療ガイドラインを作ればいい。そして、日本中で治療法Aを採用するようにしたらいい。


こういうの、当たり前って思う?


こいつは、医者相手なら、僕が言いそうな議論だ。でも、この話は、そう簡単ではない。この手の議論には、かなりの医師が反対とまではいかないまでも、不快感を表明するんだ。かなりの部分は、感情的な反発。現場のことも知らない、スプレッドシート眺めているだけの奴が、現場の決定に口を出すな、現場の経験とかをなめるなっていうような。でも、この反発は見た目ほど無根拠な感情論でもない。


だから、こう彼に反論した。


統計に基づいてつくられたガイドラインではこうなっているっていうのは、マスでみたらたいてい良いやり方だっていうだけで、目の前の特定の患者にそのやり方が本当に望ましいのかっていうのは、それだけではわからないんだよ。


それに、すぐれた治療法、Aだって、確実に効くわけじゃない。治療法Aをやったら、困った副作用がでる患者だっているかもしれないじゃないか。だったら、治療法Aをやりつつ、状況を見ながら、いつでも別の治療法、Bに変更できるようにして、患者の様子を観察し続ける必要がある。結局、すべてマニュアルでやるってのは無理がある。そういう現場をスプレッドシート眺めてるだけの奴がわかってたまるか!


患者の状態を見るってのは、マニュアルだけではうまくいかないことも多くて、治療法を決めるためには、あいまいな、言語化できない手がかりが重要になることも多い。「どことなく、治療法Aが効かなかった以前の患者に似ている」、「なんとなくいやな感じがする」といったものだ。当然、統計にはそういうものは表れない。


再び、彼の反論。

でもでも、本当に、そういう曖昧なサインまで医者は見ているの?

特に、今みたいに、医師不足で忙しくて、患者をさばききれないってときに、お前ら、本当にマニュアル以上のことやってるの?


議論は平行線。

しばらく議論が続いた後、どちらがいいだしたんだか忘れたけれども、じゃあ、そういう、医師が持っている、マニュアル以上の診療能力ってのを測定してみたらいいんじゃないかってアイデアが出た。患者には、2種類の治療をランダムに受けてもらう。


第一の治療法:現時点でもっとも優れている治療法、Aをマニュアル通りに行う治療。

第二の治療法:特に治療マニュアルをわたさず、治療法Aでも治療法Bでも、医師が好きに行う。カンだろうと、科学的データだろうと、好きに使って治療すればいい。で、患者が無事治癒した場合、医師には特別ボーナスを渡すことにしよう。


なるほど、もし、平均的な医師がマニュアルよりもすぐれた治療を行えるならば、それが統計的に実証できるわけだ。

アウフヘーベン。


もし、この実験が行われたら、たぶん、マニュアルよりもうまくできる医師は相当数いるはず。だって、参加した医師は、自信がないケースではマニュアルどおり、自信があるケースだけ俺ガイドラインで治療するっていう戦略を取れるから。


たぶん、お仕着せの全国共通マニュアルよりも、各自が独立に工夫するほうが、成績は向上する。たぶん、それは市場経済が計画経済よりもうまく言ったのと同じ原理。


こういう議論をしていたら、通りかかったシニカルな内科医がこういった。

俺ガイドラインは、コストパフォーマンスが悪すぎる。だって、全員にそういったきちんとした観察を行うのは人件費がかかりすぎる。なにより、俺ガイドラインでは、訴訟に巻き込まれたとき弁明するのが難しい。


うん、medtoolzさんも言っているように、たぶん、マニュアル化傾向は、もう避けられない。

産業としてみたとき、医療は現場の人間が判断する部分が大きすぎる。それは、訴訟対策としても経済効率としても、筋が悪い。


もちろん、現在のガイドラインは医師の訴訟対策とか、経済効率とかを考えて作られているわけではない
。たぶん、近い将来、訴訟対策用の、誤診や失敗をしにくい簡単マニュアルが現れ、普及するんじゃないかと思う。


簡単マニュアルが普及するにつれ、各マニュアルを公開している団体は、おのおの、ネットで公開するようになるだろう。どういう症状で受診したらどういう治療を受けるか、患者はそれを見てから受診するようになるかもしれない。


そういう時代にも、アンチマニュアル派の医師は生き残っているだろう。そういう医師は、そのマニュアル以上の治療能力がある限り、名医でありつづけるだろう。だから、「マニュアル以上の能力の測定」のような事態は、あちこちで、起こることになるんじゃないかな。

本当の意味で、身体的な「経験」の価値が測定される時代がくるかもしれない。

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Googleと医療

研究用のリンク集


1、MEDgle


2、Web3.0と医学


3、How Google is changing medicine


4、Googleが医療に及ぼした・及ぼす影響(BMJ)


5、医療サービス業界にも、Web 2.0的な動き?


6、google healthはEHRに手を出す気だろうか


7、Google Calendar for Doctors


8、google in medicine


9、Google 医療情報検索サービスに着手


10、Wikis, blogs and podcasts

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複数の専門を持つ人のいやらしい議論

以前に書いた記事
読み返してみて、何も変わらないなと思う。
再録

僕は、医者の仕事と、数学とかコンピュータの仕事の両方を適当にこなしている身だから、その両方がわかる人間として重宝されることが多い。でも、両方に対して、嫌がるような話を言わなくちゃいけないこともあって、両方から煙たがられることもある。


医者からは、

「今度の情報システム、こういうのじゃ、現場じゃ使い物にならないよ。」

たしかにごもっとも。ビジネスロジックをよく勉強しないで、とりあえず実装したんだな。インターフェースも、この現場で使うには、ちょっとアレだな。

え、改善点を僕がまとめるんですか?はぁ。


情報技術者からは

「あの医者の要求ことはあいまいで、あんなんじゃ、ちゃんと実装できる仕様にならない。」

うーん。ひどいユーザー要求ってのは、多いけれども、たしかに、これじゃあんまりだな。でも、どういうシステムがほしいかって、現場でも、使ってみないとよくわかんないしなぁ。


ま、仲裁役ってのは、そういうもの。医者と話すときには、技術者として技術者の言い分を伝え、技術者と話すときには医者として医者の言い分を話す。


相手の専門分野と異なる専門分野の専門家として得々と話す。


ひょっとしたら、僕自身、そういうのを望んでやっているのかもしれない。僕は議論好きなたちだし、議論するのなら、自分の方がよく知っている分野で戦ったほうがいいもの。そういう意識がどこかで働いているのかもしれない。


先日、友人の統計学者と議論して、そのあと、そう思った。

お題はEBMは、どこまで有益かって話だったんだけれど、その内容も大変面白かったので、近日中に書く。

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エンドユーザプログラミングによる電子カルテ実装

ファイルメーカー
のページからですが、電子カルテのフロントエンド部分をユーザ自身に作らせた例
です。

インターフェースやビジネスロジックが、現場に無理解なエンジニアによって作られているというのが、医療の電子化が業務効率を低下させる原因と考えられますので、これは、いい開発スタイルだと思います。

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適職を探している人のためのグレアムのエッセー

以前別所に書いた記事の再録

最近、大学を出てしばらくして、自分の適職に悩んでいる人と、いろいろ話す機会が多い。

ま、僕は、適当なことを言っているのだけれども、なんだか、いろいろ参考にしてくれていたり、元気付けられていたりする様子。

で、今日、ウェブをぶらぶらしてたら、グレアムのエッセーの和訳を見つけた。

昔、Lispを始めて覚えたころ、この人の文章にはずいぶんお世話になってて、で、久しぶりに読んで、ああ、僕が、職業とか仕事に関して考えていることのかなりの部分はこの人の文章の影響を受けているのだなぁ、と思った。

このグレアムって人は、もともと、画家だったのだけれど、コンピュータサイエンスに転向して、その後、Lispっていうコンピュータ言語の大家としても成功した人。で、on lisp っていう、この世界でものすごく有名な本を書いたり、オンラインショップのプログラムを書いて、会社を立ち上げたりした。そのオンラインショップの会社は、Yahoo!に買収されて、現在、Yahoo! Shopping になっている。彼は、その買収劇で富豪になった後は、新しいビジネスをやりたいっていう若いエンジニアのための投資をしていて、現在、Y combinator っていうベンチャーキャピタルを作っている。

最近は、Arc っていう、Lisp系のコンピュータ言語を作った。

すごい才人で、一種の天才なんだけれど、この人の仕事の普通じゃないところのひとつは、一風変わった技術、少なくともビジネスの世界ではあまり使われない言語、lispを得意としていること。


lispっていう言語は、いい言語なんだけれど、あんまりビジネスの世界では喜ばれない、マイナスイメージがまとわりついた言語。lispのいい点をあげると、まず第一に、圧倒的に生産性が高くて、仕事を高速に進められる。第二に、柔軟な方向転換が容易。つまり、開発が高速で、ユーザーの気まぐれで急にほしいものが変わったり、プログラマが作ってきたものが間違っていたりしても、修正が簡単。しかし、そういうメリットの代償として、lispのメリットを生かすには、かなりの体系的なコンピュータサイエンスの勉強が必要。だから、それをきちんと扱える技術者は少なくて、多人数で仕事する大きな会社で使うことはほとんど不可能だ。つまり、ビジネスの世界ではマイナーな言語。こんなわけだから、lispには、変なイメージがあって、つまり、まともな大会社で使われることはあんまりなくて、有名大学数学科の頭脳明晰な貧乏教授なんかが、一人でちまちま作っているプログラムなんかに使われることが多いイメージ。妙に職人肌というか芸術家肌というか癖のあるコダワリ技術者のイメージ。世捨て人っぽいイメージ。そういうわけで、コンピュータビジネスに関係する人たちはlispを敬遠する。


この人の成功の理由のひとつは、その技術がマイナーな、世捨て人の、象牙の搭言語だと中傷されても自信を持ってlispを続けてきたことだと思う。たぶん、それは彼の芸術家としての経験に支えられた自信なのかもしれないって思う。芸術家ってのは、「普通のやつらの上」を突っ走らないと存在できないものだからね。彼は、ビジネスのためにプログラムを書いている人たちの上を、「世捨て人言語」で飛び越えた人なわけだ。

で、このエントリーの元になった人に参考になりそうなエッセーをいくつか紹介しておこうと思う。

What You'll Wish You'd Known

グレアムが、これから大学に行く高校生向けに話すことを想定して書いたもの。まだ、やりたいこととかが決まらない子供たちが、自分で進路を考えるために必要なことを書いている。

A Student's Guide to Startups

大学を卒業する間際の、とくに技術系のベンチャービジネスを起こそうとしている学生たちに向けて書いたもの。

News from the Front

大学とか、学歴とかの意味について書いたもの。

What You Can't Say

間違った考え方や偏見、特に、それが、現在の自分の生きている社会で多数派であるとき、どうやったら、その影響から抜け出して自由に物事を考えられるかを書いたもの。

こんなところ。


参考にしていただければ幸甚。

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mp3プレーヤーでより診療に有用な聴診器を作る話の続報

以前、書いたmp3聴診器 のネタ(元ネタ )なんだけれど、ICレコーダのほうが、はるかに使い勝手がいいことがわかった。iPodは、あんまり、その場で録音して再生するという用途には向いていない(そもそもそういう目的で作られていないので当たり前)というのが、その理由。

それから、マイクはどのみち外付けのマイクをつけてしまう(参考1参考2 )ので機器自体の録音性能は、ほとんど関係ない。

あとは、いくつかのメーカーの製品を使い比べてみたいのだけれど、そういうことをするとなると、予算がどうも乏しい。

物欲にまみれた協力者がほしいところ。

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特殊な職務

マックスウェーバーの「官僚制」
より
「官職に就くということは、私経済においても、生活の保障とひきかえに特殊な職務誠実義務を負うこととみなされる。」

官職ってのは、「医師」に置き換えても成立するなと、考える。
「特殊な」職務誠実義務ってとこが、キモか。

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国際線に安く乗る為のデータマイニング

航空券ってのは、あんまり人気のない便は安くなって、人気のある便は高くなる。

当たり前。

飛行機を飛ばす以上、できるだけ座席を埋めないと航空会社は商売にならないもの。

パッケージソフトウェアの販売とか、ホテル経営と同じ。

だから、もし、ある便が直前になっても席が埋まらないと予測できるなら、少し待つことで、もっと安くチケットを手に入れることができる。

反対に、もう少し立つと、席が埋まると予測されるなら、早めにチケットを手に入れたほうがいい。

というわけで、統計で、安いチケットを手に入れようというサイトfarecast

発着空港コード、時間など、必要事項を入力すると、今後の席の埋まり方を推定して、航空券の値段の変化を予測してくれる。

うん、面白い。これの日本国内版、誰か作らないかな。

同工異曲で、delaycast
ってのもある。

こちらは、飛行機の発着遅れを予測するサイト。

いずれも、日本国内線は、ほとんど未対応。

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人体の周期、旧暦、ブログパーツ

だいぶ昔に別のブログで書いた記事。
再録。

以下引用。


話のタネは3つ。二十四節気、月齢、不定時法。

二十四節気。

時々、天気予報のお姉さんが、
「今日から、暦の上では○○です。」
なんていっているやつ。

一年を24等分して、それぞれの時期の身の回りの自然を2文字の漢字で表現する。
もともと、中国の黄河中流域での、季節を表す言葉なんだそうだが、気候が若干違うはずの日本でも、なるほどと思うことが多い。

それから月齢。

月の満ち欠け。
月の満ち欠けが、人間の健康状態や精神状態に影響を与えるというのは、かなりのところ、本当らしい。

満月には、犯罪が増えるって言うのは、よく聞く。僕は、犯罪に関係した人から直接聞いたことはないけれど。でも、歓楽街の近くの病院で働く先生から、満月の週末は、酔っ払いの喧嘩の救急搬送が多いと聞いたことがある。何か関係があるのかもしれない。

満月には、お産が多い。こちらは、東京の病院では結構実感している医者が多い。でも、知人の北海道の産科の先生に聞くと、その先生の病院では、月齢によるお産の増減ってのは、ほとんどないとのこと。

ということは、お産は、月齢に関係するというより、潮の干満とか重力の変化に影響されているのかもしれない。
月の形の変化は、海の潮の満ち干きに影響するけれど、高緯度地方でほど、月の重力の潮の干満への影響は小さくなるから。

不定時法。

気管支喘息の子供たちの発作は、深夜から明け方にかけて起こることが多い。
で、この深夜から明け方の発作だが、季節によって、起こりやすい時間帯が多少違うという話を聞いたことがある。喘息発作は、低気圧が来ると起こりやすくなるので、一般に、梅雨時と台風の季節に多い。でも、梅雨の喘息発作は、深夜に起こりやすく、冬の喘息発作は、朝に近くなってから、起こることが多いとのこと。
本当かどうかは知らない。たくさんの患者で確認して、きちんと統計的に確認したという話は聞いたことはないから。

でも、ありえない話じゃない。人間の体は、夜、休むようにできている。休息中は、副交感神経が優位になる。で、副交感神経優位の状態になると、気管支が狭くなる。休息中は運動中に比べて、酸素消費が少なくてすむから、気管支を広げなくてもいい。だから、体はそういう調節をするのだ。
喘息が深夜に多くなるのは、この調節が裏目に出て、深夜、気管支が狭くなったとき、気管支を空気が通りにくくなってしまうから。

喘息を持っている人は、夜寝る前に、発作を抑える薬を飲むように言われたことがあると思う。当然、それは、この深夜の発作を抑えるため。でも、それを飲んだら、心臓がどきどきしたり、なんだか寝付けなくなってしまったりって言う経験をお持ちの方も多いと思う。
これは、気管支を広げる薬の一部は、寝付きにくく、休息しにくくする作用を伴うものがあるからだ。どうしてそうなるのかは、前のパラグラフのリクツを読み直してほしい。よく読んだら理解できるのじゃないかと思う。

さて、もし、気管支喘息発作が、梅雨時、6月ごろには、深夜に起こりやすいのに、冬には、明け方に起こりやすいとしたら、人間の体は、冬には、ゆっくり朝まで休むのに、6月ごろには、早めに休息を切り上げるようにできているということなのだろう。とすると、これは、むかし、日の出とともにおきて、日の入りとともに眠っていた時代の名残じゃないだろうか?だから夏至の時期には、遅寝で早起き、冬至の時期には、早寝で朝寝坊。

体の一日の周期は、本当は、時刻じゃなくて、太陽の動きに合わせて活動しているのかもしれない。

不定時法ってのは、江戸時代まで使われた時間。その日の日の出と日の入りの時刻を調べて、日の出から日の入りまでの時間を6等分、日の入りから日の出までの時間を6等分するという時間の測り方。

ようするに、太陽にあわせた時間。不定時法のほうが、体の周期にあっているのかもしれない。

江戸時代まで、日本で使われていたカレンダーは太陰太陽暦。時計は不定時法。
太陰太陽暦は、月齢と二十四節気を組み合わせたこよみ。もともと、農業や漁業に従事する人のために大切だったから、使われ続けていたこよみだけれど、人間も、植物や魚と同じ、生き物。似たような周期で人間の体が動いていてもおかしくはない。
また、時計っていうものが高価だった時代でも、太陽を見るのはタダだった。だから、太陽を見るだけで、ある程度正確に分かる時間を、社会全体の約束事として使うことが重要だったのだろうと思う。

そんな妄想を考えていたら、旧暦と不定時法で時間と日付を表示するカレンダー時計みたいなソフトウェアとか、ブログパーツがほしくなった。たぶん、旧暦と不定時法で、予定を書いたり、日記をつけると、もっと、自分の体について、面白いことに気づけるかもしれないと思うから。

で、ネットを探してみたのだけれど、いいのが見つからない。

どなたか、おすすめの旧暦時計、ありませんか?ブログにカットアンドペーストすることを考えると、日付や時間はテキストで表示されると嬉しいかもしれない。

で、これは、おすすめの旧暦時計が見つかったら、その後の話なんだけれど、みんなで、旧暦でブログを書きませんか?

ブログに、旧暦と、可能であれば不定時法の時間を書き加えるだけでいいです。

ネタは、ダイエットとか、美容とか、闘病記とか、スポーツとか、ビジネスや日常生活に関係するストレスの話とか、直接に、人間の体に関係する話だと嬉しいけれど、でも、人間のすることなんて、全部、人間の体の調子や自然に関係しているわけだから、何でもいいと思います。

どうでしょうかね。皆様。

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某システムのユーザインターフェイスの設計方針

どうも、別のシステムのユーザーインターフェイスも作らなくてはいけなさそう。

というわけで、メモ

作成するシステムの背景


  • これから開発、販売するシステムはウェブをユーザインターフェイスとして利用する業務用のシステムである。
  • このシステムを利用する業界では、すでに、類似の機能をもつ既存のシステムが、かなりの数販売されている。
  • この既存のシステム市場は、大手業者向けと、小規模業者向けで、かなり異なる状況にある。
  • 小規模業者向けシステムは、大抵UNIXかPCのクライアント数台とサーバー1〜3台で構成されており、導入コストが数百万円、メンテナンスコストが年間百万円程度

  • 大手業者向けシステムは、ソフトウェア開発の観点からは、上記構成+バックオフィスといった感じに見えなくもないけれど、バックオフィス部分が非常に大きくなるので、一種の「基幹系」システムの様相を呈している。
  • 小規模業者向け市場では、このシステムは、普及率は10%程度。また、特にシェアの大きな業者は存在しない。
  • 大手業者向け市場では、普及率は80%近い。某SIerの製品が独占的な地位を占めている。
  • この業界では、小規模業者のほとんどは、大手業者に長年勤務した従業員がスピンアウトしてスタートさせたものである。今後も、この傾向は続くと思われる。
  • この業界で、小規模業者をターゲットにしたシステムの市場に、ウェブブラウザの上で動作する、ASP型の製品を売り込むのが目的。サーバーを自社に置かなくてもよい分だけ、導入コストとメンテナンスコストを削減できるのがウリ。

    ユーザーインターフェイスの基本的な考え方


    • ウェブブラウザをユーザインターフェイスとして利用する。
    • このシステムは、遠隔でメンテナンスすることで、メンテナンスコストを大幅に削減できるのがウリの一つである。もし、サポートや、操作方法の説明などのために、SEが頻繁に客先に行かなくてはならないとしたら、この、ASP型のシステムによるメリットは無意味なものになりかねない。
    • したがって、システムのユーザーインターフェイスも、可能な限り、SEが実地に行って説明しなくてもいいように作られるべきである。
    • したがって、「ある程度習熟したユーザーに使い方が想像しやすい事」と、「習熟したユーザーにとって操作が効率的に行われる事」が、両立できない場合は、前者を優先する。(通常の業務用ソフトでは逆だと思う)また、「不慣れなユーザーが操作しても、使い方が想像しやすい事。間違いが起こりにくい事」も、必須である。
    • このシステムの主要な顧客になるユーザーは、大手業者に勤務していた時代に、大手業者で使っていた某SIerの製品に習熟している事が多い。僕は、某SIerの製品のユーザーインターフェイスはクズだと思うし、僕たちのユーザーの多くも、この会社の製品に否定的な印象を持っている事が多い。それでも、ユーザーが簡単に習熟できるために、また、僕たちのサポートの手間を少なくするために、某SIerの製品、つまり、すでに習熟した製品に近いユーザーインターフェイスが望ましい。
    • まとめると、この製品のユーザーインターフェイスの原則は、「驚き最小化の原則」である。誰にとっての驚きを最小化するのかというと、既に某SIerの製品に習熟した人にとってであり、また、我々の製品にある程度習熟した人にとってである。

      そこで、方針


      • 全体の画面デザイン、および画面遷移は某SIerのものに近いものにする。特に理由がない場合、画面デザインは、ユーザーが既に習熟している製品と同じにする。
      • 画面デザインのカスタマイズは、できるだけしなくてもいいようにする。これは、僕たちの使う開発ツールが、画面のカスタマイズを自由にできるシステムに不向きだからである。また、経験的に言って、画面のカスタマイズは、たいていのユーザーにとって、SEのサポート無しにできない。
      • 某SIerの製品は、ユーザーが自由にカスタマイズできる余地がかなり大きい。ほとんどのユーザーは画面のカスタマイズを同社のSEにしてもらっている。この部分は、たいていのユーザーにとって必要な最大公約数を提供する事にする。また、使用頻度の高いメニューを優先的に表示するなどの方法で、特殊な操作をするユーザーのユーザビリティを引き上げる事を試みる。
      • ブラウザ上で操作する際に問題になるようなインターフェイスの要素は、すべて取り除く。

      以上

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    老いらくの恋

    以前、別のブログで書いた記事の転載。
    久しぶりに読み返してみて、感慨深い。
    もし、時間が出来たら、老いらくの恋について書いてみるのも悪くないかと思う。

    以下、引用

    老いらくの恋ってやつに、最近、少し関心がある。
    いや、あなたが思ったのより、たぶん、もう少し年上の人たちの話。
    80歳以上、いわゆる後期高齢者のヒトたちの恋愛。

    いわゆるドロッポ医の定番勤務なのだけれど、僕は、最近、老人ホームとか、老人病院とかに非常勤で行く機会が多い。
    そういうところの入居者は、みな年寄り。あたりまえである。
    年寄りで、だから、医学的な検査結果は、完全に正常というわけにも行かないのだけれど、でも、大掛かりな治療をしなくてはいけないというほどひどいものでもない。
    多くの入居者も、歳をとったらそういうものだと割り切っているから、まあ、平和なものである。平和だと、医者の仕事なんて、ヒマなもの。日がな一日、年寄りと話をしているだけである。

    特に医者に診てもらいたいわけでもない老人にとって、僕なんかは、ただ単に、時々来るだけの話好きのアンちゃんである。
    そういうアンちゃんに話したい話題ってのも、ある程度、決まっているものなんだろうとと思う。
    やたらとノロケ話が多いのである。

    ウキウキしているときってのは、年齢に関係なく、ノロケたいのであろう。
    彼と部屋にいる老人たちは、聞き飽きて、もう聞いてくれなくなっているのかもしれない。
    時々訪問する家族には、彼は、隣のベッドのバアチャンに恋しているなんて言いにくいのかもしれない。
    そういうわけで、彼らは、時々来るだけの話好きの医者相手にノロケているのだろう。

    そういう「勤務中」に聞いた話、どれもこれも、濃厚な恋愛の話なのである。

    これをネタに恋愛小説でも書きたくもなる。
    でも、あいにく、僕には文才が足りなくて、後期高齢者の恋愛のなまめかしさを表現できない。
    残念である。

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    医療の歴史

    昔どこかで見た、すごく好きなアメリカンジョーク。
    中耳炎の治療法の歴史。

    I have an ear ache.

    2000 B.C. - Here, eat this root.

    1000 A.D. - That root is heathen, say this prayer.

    1850 A.D. - That prayer is superstition, drink this potion.

    1940 A.D. - That potion is snake oil, swallow this pill.

    1985 A.D. - That pill is ineffective, take this antibiotic.

    2000 A.D. - That antibiotic is artificial. Here, eat this root.

    中耳炎の治療法

    紀元前2000年;この根っ子を煎じて飲みなされ。

    西暦1000年;根っ子を使うなんて異教徒の風習です、さあお祈りを唱えましょう。

    西暦1850年;お祈りで直すなんていうのは迷信です、この一服薬を水で飲みなさい。

    西暦1940年;そういう一服薬というのはいんちき薬ですよ、この錠剤をゴクンと飲み込みなさい。

    西暦1985年;その錠剤はあまり効きません、この抗生物質がいいでしょう。

    西暦2000年;抗生物質というのは人工的で自然物質ではありません、この根っ子を煎じて飲みなされ。


    進歩とかの意味を考えさせられる、含蓄のあるジョーク。
    メモしておく。

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    googleケータイは失敗作

    期待に反してgoogleケータイは全く使えない失敗作とおもう
    多分、近い将来、androidは、開発も販売もサポートも打ち切られて、googleの黒歴史の一部となるであろう
    使えない理由は、後で別エントリとしてポストする

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    ユーザーインターフェイスデザイン

    某中堅SIと一緒に受けた医療向けのシステムの案件で、ユーザーインターフェイスのデザインを担当する事になった。

    開発対象のシステムは、ある程度大きな病院に勤務した事のある医師ならば、類似のシステムを(自分で触った事はなくても)たいていは、見た事はあるんじゃないかと思う。でも、一緒に仕事を受注した会社のSEさんは、システムのイメージが今ひとつつかめない様子。まあ、会社としてはともかく、彼自身は病院向けのシステムの経験もないみたいだし、それに発注元の提示した要求仕様も漠然としているし、仕方がないかとは思う。

    僕が、同種のシステムを過去に何度も使った事があったので、某中堅からは、細かい要求仕様をお客さんとつめて欲しいって言われたんだけれど、でも、実質的な開発を割り振る発注元になるのは、その某中堅。僕はその会社の社員じゃない訳だし、そういうデリケートな立場は、ちょっと勘弁。

    そういうわけで、僕は、お客さんとはUIの部分を中心につめる事になった。

    ただ、ユーザーインターフェイスデザインってのは、これもまた、正直のところ、初仕事である。
    デザイン仕様書に従って(あるいは、仕様書にないことを、適当に補って)ユーザーインターフェイスのコーディングなら経験あるのだけれど。

    ちょっと心配な雲行き。

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    豚インフルエンザ急増

    ここしばらくで豚インフルらしきインフルエンザA型の患者が急増している
    どの患者も高熱とか関節痛とかいったようなインフルエンザらしい典型的な症状は、はっきりしない
    御盆で人の移動が多くなったことも原因かもしれない

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    すしを食べる場所

    昨日知ったこと
    寿司屋ではテーブルなどよりカウンターで食べたほうが美味い寿司が出てくることが多い

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    blogwriterから投稿テスト

    テスト

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    tumblrでレコーディングダイエット

    先月初めに体重が100kgを超えてしまって、とうとう、先月終わりには105kgになってしまった。体重をきちんと管理して減らさないといけない。
    どういう方法がいいだろうかといろいろ考えてみていたのだけれど、なかなか、うまい方法がない。
    どう考えたって、結局、つまるところ、僕の食べている量が多すぎるのだ。

    でも、どうすればいいのだろう。
    食事制限をしようったって、僕の性格じゃあ続かないのは分かっている。なので、とりあえず、きちんと食事記録を取ってみることにした。自分がどれくらい食べているのか把握するのは大事なはずだ。
    いわゆるレコーディングダイエットである。

    で、メモをとり始めてみたのだが、これが、僕は、すぐにメモをなくしてしまうのだ。おまけにメモをなくした事自体を忘れてしまう。つまる、メモをとること自体を忘れてしまう。
    先週、とうとう5冊目のメモ帳をなくしたところで諦めた。しかし、こうも異常な健忘が続くという事になると、どうも、食事を継続したいという不可解な潜在意識の力が働いているようにも思える。
    なにやらフロイト的な状況であるが、潜在意識の中の抑圧された食欲が、僕の食事メモ健忘症候群を作り出しているようだ。

    いろいろ考えて、せっかくiPhoneを持っている事なので、iPhoneでtwitterに投稿して食事メモを作ってみることにした。最近の僕は、ずっとiPhoneを持ちあるいているので、これなら、なくしてしまう事もないだろうと思った訳だ。

    でも、iPhoneで文字をタイプするのは面倒である。文字の代わりに食べるものの写真をとるのなら、それよりいくらか楽だろう。検索してみるとtwitterpicsってのがあるようだ。
    という訳で、今秋はじめから、iPhoneでtwitterpicsで食事メモをとりはじめた。
    で、本日が、iPhone食事メモの3日目だったのだが、出先で食事メモをとろうとして障害が発生した。
    twitterのサーバーに何か障害が発生したのか、ログインできないのだ(なんだかしらないけれど、twitterは時々不可解なトラブルがある)。

    「でも、本当にサーバーのエラーなのかな?
    ひょっとしたら、パスワードが間違っているのかもしれない。」

    そう思った僕は、僕は、iPhoneアプリが覚えているtwitterのパスワードをいったん消して、再入力しようとした。
    ところが、パスワードを消してから気づいたのだけれど、ぼくは、twitterパスワードを忘れてしまったようなのだ。
    ほとんど忘れた事がないパスワードをそのときに限って忘れてしまったというのも不可解な話だけれど、本当にそうなのだから仕様がない。
    これでは、食事メモを投稿できない。
    夕方、仕事が終わって、自宅に帰ってくる途中、twitterのパスワードを思い出したのだが、今度は何を食べたかさっぱり思い出せなくなっていた。

    なんだか、絶望的な状況である。

    いずれにしても、twitterではこの問題を解決できないようだ。というわけで、今日からは、twitterから、画像のアップロードがより簡単で、エラーが少ないtumblrに移行することにした。

    というわけで、今後、僕のtumblrは食事と体重メモである。

    twitterはRSSフィードリーダーとしてでもつかうことにしようか。

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    がんが治るコンピュータゲーム

    何年か前、小児科の医者が集まって呑んでいた席で、子供のがんの治療に役に立つコンピュータゲームってのが、話題になったことがあった。
    そのときの話題では、
    「コンピュータゲームをプレイすることで、抗がん剤などを使うつらい治療のメリットを学ぶことができ、患者が治療に積極的になる。結果として、癌が治癒しやすくなる。」とか、「がん細胞をやっつけるゲームをプレイすることでがんを克服するイメージを患者に感じてもらう。それで、その結果として、癌が治癒しやすくなる」いう話だった気がする。

    今日、某IT企業での同僚と話をしていて、たまたま、その話がでた。
    PubMedで検索してみたところ、
    多分、以前に読んだ論文は、これ(J Pediatr Oncol Nurs. 2006 Sep-Oct;23(5):269-75.)だと思う。
    問題のゲームは、これ。
    Re-Mission。めちゃくちゃ派手なアクションゲームだが、結構ハード。フリーで結構品質がいいのでテストプレイをおすすめする。
    著者のパメラ加藤氏で検索すると、なんだか、同工異曲のような論文が並ぶ。
    たとえば、これとかこれとかこれとか。
    検索していて、日本語の記事も見つかった。

    要するに、がんについてのゲームの論文を書き続けている人みたい。
    日本語の記事も見つけた。テレビゲームはガンに打ち勝つ有効な治療薬 - 米国
    だそうだ。

    パメラ加藤は、先の論文の中で、この種の医療に役に立つゲームっていうのは、がんだけじゃなくて、ほかの病気、たとえば、うつ病とか肥満とか、いろんな病気の治療に使えるはずだと主張している。

    こういう、コンピュータゲームで健康になるっていうアイデアは、楽しい。

    ただ、ReMissionは、ゲームとしてハードすぎる。銃でがん細胞を倒しながら、ステージを先に進む、アクションゲームなのだが、ほとんどのプレイヤーは後のほうのステージに到達することは出来ないと思う。
    プレイヤーに、ゲームを通じて何かを学んでもらうことが目的であれば、出来るだけ多くのプレイヤーに、すべてのステージを遊んでもらうべきだ。あんまりハードなゲームではいけない。

    それに、絵柄がアメコミみたいで好きになれない。
    「がん」とその「治療」というシリアスな話題を扱うわけだから、プレイヤーの感情に配慮するならば、登場キャラクターは、もっとコミカルな絵柄、たとえば、ポケモンとかミッキーマウスとか、マリオのようなやつのほうが、よかったと思う。

    そういうわけで思い出すのが、任天堂のマリオRPG3とかみたいなの。

    あれは、まさに、「メタボ撲滅」をネタにしたゲームで、しかも、「ミクロの決死圏」よろしく、クッパの体の中で戦うのだ。
    任天堂さん、ひょっとしたら、病気の治療のためのゲームを作る気だったのだろうか?

    もし、そういう、病気治療に役に立つゲームみたいなのを作りたいという人がいたら、連絡してほしい。
    僕にもいくつかネタがある。

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    銀座でボンバーマン

    東京ドームシティに、マジクエストっていうゲームが登場してしばらくたつのだけれど、ああいう、RPG風の世界に実際に入って遊ぶゲームっていうのは、スゴく憧れる。
    そういえば、小学生のとき、学校の裏に山があって、その上に神社があったのだけれど、そこで、友達と一緒に神社を「お城」に、山の洞窟を「ダンジョン」に見立てて、「ドラクエごっこ」をやった記憶がある。
    たしか、みんな、初代のドラゴンクエストをプレイした直後の話。

    バーチャルな世界の中に実際に入ってプレイするようなゲームってのは、スゴく楽しい。

    3Dグラフィックスをストレスなく描画できるエンジンや、大画面のテレビ、Wiiリモコンみたいな、剣を振ったり銃を撃ったりという、実際の動作に近い操作で操作できるコントローラができてきたりして家庭用ゲーム機の世界にも、そろそろ、そういうゲームが作りうるだけの道具立てがそろってきているのかもしれない。

    でも、やるんなら、自宅の中でなくて、実際に町の中で走り回ってプレイするゲームがしたい。
    GPSを使って、東京の町の中を移動しながらプレイする、「異世界」ってのは、できないものだろうか?

    いくつか、面白そうな案
    案Ⅰ:銀座でボンバーマン


    • 一種のサバイバルゲーム。ただし、使う武器は爆弾のみ。

    • ゲームは、GPS付き携帯電話のアプリケーションとして配布される。

    • プレーヤーは、アプリがインストールされたケータイ電話を持って、指定された町、たとえば銀座に集合。後で触れる「死亡イベント」のことを考えると、プレイフィールドは、にぎやかでオシャレな町である方がいいと思う。

    • プレーヤーたちは、2チームに分かれてプレイする。

    • プレーヤーは、携帯電話で「爆弾ボタン」を押すことで、自分がいまいる場所に爆弾を仕掛ける事ができる。

    • プレーヤーは、自分のケータイに地図を表示でき、地図上で、自分やその他のプレーヤーが仕掛けた爆弾の場所、他のプレーヤーの場所を見る事ができる

    • 「爆弾」は仕掛けられてから10分で爆発する。

    • 「爆弾」が爆発すると、周囲の500メートルの半径にいるプレーヤーは「死亡」する

    • 「死亡」したプレーヤーの携帯電話は、死亡にふさわしいハズカシいイベントを発生させる。たとえば、突然、大音量で、なにかハズカシい音楽や効果音を再生させるとか。本人のボイスで、いきなり携帯電話が「俺は今、○○したーい!」と叫ぶ、というのはどうだろう?

    • 相手プレーヤを「死亡」させた「爆弾」を仕掛けたプレーヤーは、何らかの「アイテム」を入手できる。

    • 「死亡」したプレーヤが「復活」できるかどうかは、今後の検討事項

    • 「爆弾」は、ゲーム開始時点では、同時に3つまでしか仕掛ける事ができない

    • 「アイテム」を入手すると、同時に仕掛けられる爆弾の数が増える、偽物の爆弾(地図上では、「爆弾」と同様に見えるが、爆発しても殺傷能力がない)を一つだけ仕掛ける事ができる、死亡した際に一度だけ復活できるなどの得点が与えられる。

    • プレイ時間は2時間。時間終了時により多くのプレーヤーが生き残っていた方が勝ち。
    • 用意するべきインフラは、爆弾の情報とアイテムの情報を管理するサーバーがあればいい。爆弾DBは、爆弾を仕掛けた場所、時間、仕掛けたプレーヤーIDが保存されていればいいだけだし、アイテムDBは、要するに各プレーヤーがどのアイテムを持っているかが分かればいいだけ。
      iPhoneでやるとしたら、GPSの精度が悪いことがネックか。

      これができるようなら、リアルワールドでプレイするゲームの世界が広がるんだけれどな。

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    身体感覚のための携帯デバイス

    ずっと以前に、身体的な感覚のためのコンピュータ、つまり、自分の体について感じた感覚を記録したり、それについて調べたりするためのコンピュータのデザインってのは、どうあるべきかってのを考えた事がある。そのときのことを思い出しながら、身体的感覚のためのコンピュータデザインについて、あれこれ考え、つれづれと書いてみる。
    (ところで、つれづれなるままに、っていうのは、要するに文章を書きながら行う、一人ブレインストーミングなのだと、いま、思い当たった)

    以下、箇条書き。


    • 自分の体について感じた事を記録したり、感じた事について調べたりするためのコンピュータが欲しい。

    • 当然、ポータブルなマシンでなくてはならない。だって、いつでも利用できないといけないから。

    • 入力インターフェイスとして、最低でも、カメラ、マイクは必要。キーボードは、テキストの入力には向いているかもしれないが、あいまいな「感じた事」を入力するには向いていない。

    • それから、「粘土インターフェイス」みたいなのがあったらいい。

    • 伸び縮みする薄いゴムの袋に入った粘土のかたまりのような「入力機器」。ぐにゃぐにゃと形をかえる事ができ、適切な形にぐにゃぐにゃと変えて、決定ボタンを押す事で、「形」を入力したり、リズムに合わせて形を変えることで「動き」を入力する。「形」と「動き」は、ちょうど、「動画」と「静止画」の関係

    • もし「粘土インターフェイス」が無理なら、多数の関節が稼働する(GIジョー人形のような)「人形マウス」でも、かまわない。それを使う事で「ポーズ」と「ダンス」を入力できる。「ポーズ」と「ダンス」ってのは、要するに、静止画と動画の関係。

    • どうしても「人形マウス」が無理なら最低でもタッチパネルとカメラが必要。

    • つまり、タッチパネルに映った人形を触って操作したり、オプションの「人形」をカメラに撮って入力する訳。


    それから、出力装置について。

    • できれば、「粘土型モニタ」か「人形型モニタ」が欲しい。「ポーズ」や「ダンス」を出力するため。どうしてもダメなら普通のモニタとスピーカーでもいいけど

    • あと、出入力機器として、昔のバーチャルリアリティであったようなグローブとかメガネの携帯バージョンもオプションでつけられるといいと思う。


    人形とかグローブとかは、多分、身体的な感覚の記録に役に立つ。たとえば、スポーツのフォームとか、職人の仕事の方法とか、楽器の演奏のテクニックとか、そういうものを記録して、再生(つまり、他の人の職人芸をトレースできるわけ)ができる。
    多分、昔、「バーチャルリアリティ」って言われた技術は、職人の身体の感覚の記録装置として復活するのではないか。
    たぶん、そういうシステムをtwitterみたいな感じで簡単に投稿、検索できるシステムがあると、いろいろ面白い事になるのだろうと思う。

    今あるデバイスで、これに近い事をやるのならば、iPhoneが一番かな。

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    HPのマルチタッチは、ダメだ。

    HP TouchSmart tx2 Notebook PC


    フリック ローテイト ズーム / ピンチ
    Internet Explorer® などの進む・戻るや上下のスクロールが、指先で画面をはじくような操作で快適に楽しめます。 片方の指を支点に、もう一方の指を回し (ピポッド)、画像を回転できます。 画像の拡大・縮小をマルチタッチでおこなえます。

    店頭で使ってみた。
    正直のところ、操作性は良くない。iPhone/iPod touchみたいな操作を期待すると失望する。
    また、ウィンドウズのボタンは、指でタップする事を想定したデザインとは言いがたい。

    こういう細かなデザインのことを考えると、まだまだアップルの製品に軍配が上がる。

    アップルのiPhone/iPod touchのインターフェイス、特にマルチタッチのインターフェイスは、僕にとって衝撃だった。もう、僕は、少なくとも携帯デバイスに関しては、マルチタッチのスクリーンを備えていない製品は使いたくない。

    携帯デバイスは画面が小さい。だから、携帯デバイスで大きいドキュメントを見る事は困難だ。
    これまで当たり前だと思っていたことをマルチタッチのデバイスはかえてしまったと思う。
    たとえ小さい画面であっても、十分に自然なインターフェイスでドキュメントの拡大、縮小、移動ができれば、大きなドキュメントを読む事も苦にならないのだ。

    とはいえ、iPhoneは日常の業務にはやや小さすぎる。ネットブックのサイズのマシンにマルチタッチのインターフェイスを搭載してもらえば、もっと便利だろうと思う。
    そういうわけで、アップル製ネットブック(たぶん、見た目はiPod touchの大型版みたいになるだろう。呼び方も、「ネットブック」というより、iBoardとかiSlateとかいうほうがふさわしいだろうとおもうけれど)を待ち望んでいる。

    もちろん、アップル製品でなくてもかまわない。

    でも、HPの上記製品は、まだダメだ。
    正直、マルチタッチが全然こなれていないのだ。たぶん、使いにくい理由のひとつは、Windows VistaっていうOSのインターフェイスがマルチタッチで使いやすいように作り込まれていないという事なのだろうと思う。

    Windows 7はマルチタッチに対応するそうなので期待したいところ。

    最近、僕の仕事のほとんどもウェブブラウザの上でできるようになってきた。
    クラウド時代、ウェブブラウザを備えた無数の種類のマシンの中から、僕たちは好きなものを選ぶ事ができるようになった。
    多分、その中で、もっとも使いやすい、見栄えのするインターフェイスを備えた製品が選ばれるのだろう。

    こういう競争はアップルの得意分野。
    そして、今はまだ、アップルの独壇場。

    そういうセンスのプレーヤーが、もっと出てきてくれて、使いやすいインターフェイスのマシンをもっと作ってくれたらいいのだけれど。たとえば、Linuxベースのネットブックで、そういうのを作れないものかと思うのだけれど。

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