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医療のマニュアル化できない部分

ずいぶん昔に書いた記事の再収録。今でも言いたいことはこれに関してはほとんど変わっていない。


友人の統計学者は、かなり頭のとんがった奴。

彼の主張。医師は、可能な限り統計的に信頼できる証拠に基づいて、治療方針を決めるべき、とのこと。

意味がわかりにくい?


たとえば、ある病気に、効くかもしれない治療法が2つあるとする。仮に、治療法Aと治療法Bとする。で、医師は、どっちの治療法で治療したほうがいいのか迷っているとしよう。医師ってのは、体の不調を治す修理工みたいなものだけれど、少し自動車やコンピュータの修理工と違うところがあるんだ。それは、修理の対象である人間ってのは、ものすごく複雑で、現代科学をもってしてもどういう仕掛けで動いているのかよくわからない「機械」だということ。仕組みがわからないのだから、A、B二つの治療法は、いずれも確実に効くとは言い切れない。せいぜい、確率的にこれくらいってことが言える程度。たとえば、Aだとこの病気が治る確率は何パーセントといった具合。


こんなとき、医師は、どういう風に治療法を決めたらいいのだろう?


AとBのどっちにしても、確実とはいえない。だったら、これは、一種のバクチみたいなものだ。バクチなら、勝つ確率が高いほうを調べて賭けたらいい。


たくさんの医療機関で、AとBのそれぞれの治療法で患者を治療した結果をみてみよう。できれば、同じような患者を集めて、ランダムに二つの種類の治療法で治療する。それができなければ、いろんな医療機関での治療結果のデータをもらってきて調査するのでもいい。


そうして、もし、Aのほうが成績がいいなら、Aのほうが優れた治療法だってことになる。つまり、治療法Aが優れているんだと実験で証明されたんだ。だったら、治療法Aを採用すればいい。無論、反対だったら治療法Bを採用すればいい。で、もし、治療法Aがすぐれているのだったら、治療法Aを日本中で受けられるようにするべきだ。そのためには、ほげほげ病は全て治療法Aで行うことっていう治療ガイドラインを作ればいい。そして、日本中で治療法Aを採用するようにしたらいい。


こういうの、当たり前って思う?


こいつは、医者相手なら、僕が言いそうな議論だ。でも、この話は、そう簡単ではない。この手の議論には、かなりの医師が反対とまではいかないまでも、不快感を表明するんだ。かなりの部分は、感情的な反発。現場のことも知らない、スプレッドシート眺めているだけの奴が、現場の決定に口を出すな、現場の経験とかをなめるなっていうような。でも、この反発は見た目ほど無根拠な感情論でもない。


だから、こう彼に反論した。


統計に基づいてつくられたガイドラインではこうなっているっていうのは、マスでみたらたいてい良いやり方だっていうだけで、目の前の特定の患者にそのやり方が本当に望ましいのかっていうのは、それだけではわからないんだよ。


それに、すぐれた治療法、Aだって、確実に効くわけじゃない。治療法Aをやったら、困った副作用がでる患者だっているかもしれないじゃないか。だったら、治療法Aをやりつつ、状況を見ながら、いつでも別の治療法、Bに変更できるようにして、患者の様子を観察し続ける必要がある。結局、すべてマニュアルでやるってのは無理がある。そういう現場をスプレッドシート眺めてるだけの奴がわかってたまるか!


患者の状態を見るってのは、マニュアルだけではうまくいかないことも多くて、治療法を決めるためには、あいまいな、言語化できない手がかりが重要になることも多い。「どことなく、治療法Aが効かなかった以前の患者に似ている」、「なんとなくいやな感じがする」といったものだ。当然、統計にはそういうものは表れない。


再び、彼の反論。

でもでも、本当に、そういう曖昧なサインまで医者は見ているの?

特に、今みたいに、医師不足で忙しくて、患者をさばききれないってときに、お前ら、本当にマニュアル以上のことやってるの?


議論は平行線。

しばらく議論が続いた後、どちらがいいだしたんだか忘れたけれども、じゃあ、そういう、医師が持っている、マニュアル以上の診療能力ってのを測定してみたらいいんじゃないかってアイデアが出た。患者には、2種類の治療をランダムに受けてもらう。


第一の治療法:現時点でもっとも優れている治療法、Aをマニュアル通りに行う治療。

第二の治療法:特に治療マニュアルをわたさず、治療法Aでも治療法Bでも、医師が好きに行う。カンだろうと、科学的データだろうと、好きに使って治療すればいい。で、患者が無事治癒した場合、医師には特別ボーナスを渡すことにしよう。


なるほど、もし、平均的な医師がマニュアルよりもすぐれた治療を行えるならば、それが統計的に実証できるわけだ。

アウフヘーベン。


もし、この実験が行われたら、たぶん、マニュアルよりもうまくできる医師は相当数いるはず。だって、参加した医師は、自信がないケースではマニュアルどおり、自信があるケースだけ俺ガイドラインで治療するっていう戦略を取れるから。


たぶん、お仕着せの全国共通マニュアルよりも、各自が独立に工夫するほうが、成績は向上する。たぶん、それは市場経済が計画経済よりもうまく言ったのと同じ原理。


こういう議論をしていたら、通りかかったシニカルな内科医がこういった。

俺ガイドラインは、コストパフォーマンスが悪すぎる。だって、全員にそういったきちんとした観察を行うのは人件費がかかりすぎる。なにより、俺ガイドラインでは、訴訟に巻き込まれたとき弁明するのが難しい。


うん、medtoolzさんも言っているように、たぶん、マニュアル化傾向は、もう避けられない。

産業としてみたとき、医療は現場の人間が判断する部分が大きすぎる。それは、訴訟対策としても経済効率としても、筋が悪い。


もちろん、現在のガイドラインは医師の訴訟対策とか、経済効率とかを考えて作られているわけではない
。たぶん、近い将来、訴訟対策用の、誤診や失敗をしにくい簡単マニュアルが現れ、普及するんじゃないかと思う。


簡単マニュアルが普及するにつれ、各マニュアルを公開している団体は、おのおの、ネットで公開するようになるだろう。どういう症状で受診したらどういう治療を受けるか、患者はそれを見てから受診するようになるかもしれない。


そういう時代にも、アンチマニュアル派の医師は生き残っているだろう。そういう医師は、そのマニュアル以上の治療能力がある限り、名医でありつづけるだろう。だから、「マニュアル以上の能力の測定」のような事態は、あちこちで、起こることになるんじゃないかな。

本当の意味で、身体的な「経験」の価値が測定される時代がくるかもしれない。

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コメント

興味深い議論ですね。
統計データは諸々の要因の結果なので、「統計上良い」がすなわち「元の筋が良い」とは限らない所が要注意だと思います。
知見の集積による改良、プラシボ効果などがあるので、リソースパフォーマンスから見て、今後も最良の方法と言えるか、は定期的な見直しが必要だろうと感じます。
統計そのものも、相関関係-->因果関係への絞り込みを間違うと、「健康な人間にはノミが居る。病気で高熱になるとノミが居なくなる。だから、病気を直すために体にノミを付けてあげる」という笑えない話もありますね。

投稿: | 2009年8月19日 (水) 22時48分

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