« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月

Twitterの可能性

最近、twitterにハマっているのだけれど、このtwitter、マジでウェブの世界を大きく変えるんじゃないかと思うようになってきた。いくつか、twitterの可能性について思うこと。

1、SNSプラットフォーム
SNS(的な何か)を作りたいひとのためのプラットフォームとして、twitterが便利なのではないかと考えている。ブログサービスが普及したことで、テキストサイト、日記サイト的なものを作るのが一気に簡単になったのと同じこと。

たぶん、近い将来、twitterと、その周辺サービスの融合が、SNS的なものを始めたい人に、それを簡単始められるようにするサービスに化けるのじゃないかという気がしている。

少し前、mixiがバカみたいに流行り始めたころ、いろんな会社がSNSに参入しようとしたことがある。とはいえ、mixiやmyspaceをひっくり返そうっていうほどの大きな野心を持ったプロジェクトは少なくて、ニッチ分野の小さなSNSみたいな話が多かった気がする。たとえば、ダイエッターのSNSとか、FXでお金儲けしたいひとのSNSとか、英会話の勉強SNSとか。ああいうのは、商売になるほどのメンバーを集められなかったSNSも多かったんだけれど、まあ、当該分野に関心のある人には便利なSNSも多くて。

ああいうのの受け皿になるサービスが、twitterをプラットフォームにすることで作れそうな気がしている。

2、「AIの森」
twitterには、人工知能が集まってくるかもしれない。

以前、一種の人工知能のような機能を持ったウェブサービスを設計していたことがある。それは、ウェブのフォームを介してユーザーがする質問に専門知識に基づいて答えてくれる、一種のエキスパートシステムだった。でも、このシステム、結局は、問題が多すぎて、商売としては成立しなかった。

最大の問題は、サーバーの負荷が大きすぎ、またメンテナンスの負担も大きすぎたこと。ウェブフォームからの質問に答えるために必要なDBアクセス負荷と計算負荷(DB内部のデータに基づいて、確率計算をしていた)が膨大で、また、計算に使ったアルゴリズムは、分散処理には不向きなものだった。そのため、少しアクセスが増えるとサーバーが負荷に耐えられなくなることが多かったのだ。

いま、類似のサービスを作るとしたら、twitterのbotとして実装すると思う。まず、twitterサーバーがユーザーからの直接のアクセス負荷をさばいてくれるのだから、サービス提供者は大規模なウェブサーバーを持つ必要がない。また、twitterのbotであればユーザーの質問にリアルタイムで答える必要はない。botに対して行われる質問を順番に待ち行列に入れ、それを順番にさばいていけばいいのだ。ユーザーのアクセスが増えれば、若干ユーザーの待ち時間が増えるかもしれないが、それだけのことである。

それに、人工知能的な機能を提供するサービスにとって、チャット相手になるbotという外見は、わかりやすいアナロジーだとも思う。

今は、まだ、twitterのbotは大した機能がないものが多いけれど、将来、twitterはたくさんの人工生物、人工生命がさえずり合う、「AIの森」のためのプロトコルになるかもしれない。

3、身体や医療を対象にしたtwitterサービス
リアルタイム性に優れ、また、携帯端末と相性が良いtwitterは、ユーザーの健康管理に有用なサービスを多く生み出す可能性があると思う。たとえば、すでに、ダイエッターが食事記録することを支援するtwitter クライアントがいくつか存在している。同様に、「糖尿病手帳」 on twitterとか、「血圧手帳」 on twitter、「母乳育児」 on twitter、なんていうのも、可能なんじゃないかと思う。twitterでは、非公開の通信には不向きなのだけれど、多分、育児やダイエットの記録を喜んで発信する人は多いのではないかと思う。現に、「ダイエット日記」とか「育児日記」のようなブログは結構ある。

多分、そういうサービスは、同じような目的を持つユーザーを集めるSNS的な機能と、ユーザーの動機づけや、簡単な質問に答えるbot、健康記録に向く、簡単な専用クライアントの組み合わせで実現されるのじゃないかと思う。

4、プロトコルとしてのtwitter
たぶん、twitterの様々な機能がオープンになっていく過程で、twitterはフィードのための一種のプロトコルのようになってしまうんじゃないかと思う。
URIも
http://twitter.com/medicalcloud
なんてのじゃなくて、
twitp://medicalcloud.tokyo.tw
twitp://medicalcloud.twitt.er
なんて書くようになるかもしれない。

みなさん、どう思われますか?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

英語はラテン語のたどった歴史を繰り返す(英語の分裂)

僕の外勤先の診療所の近くにインド人が集まって住んでいるエリアがあって、で、まあ、そこの患者さんとは、お互い、訛りの強い英語で話してる。

こっちは、Japanese English 先方はHindulish(インド人英語)。

最近ようやくインド人英語がスムーズに聞き取れる様になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

医師の労働の供給曲線は、右下がり?

ここしばらくの医者の労働時間に関する統計とか、転職サイトに書いてある医者の給与の相場の変化をみて。

1、医者の労働に対する需要は極めて価格弾力性が低く、需要曲線はほぼ垂直になる。

2、供給曲線は右下がりになる(多分、医師の昇給は給与の限界効用を下げ、相対的な余暇の価値を引き上げる)

この2つが起こっている可能性が高い。

1、は、価格弾力性の低い商品一般に見られる現象。しかし、2、は、労働の供給で起こるのは若干イレギュラーだと思う。でも、たしかに、僕自身、医師不足を背景として、労働時間あたりの給与を大幅に引き上げる転職を実現した。また、交渉力が上がった結果もあり、多すぎる当直や残業を拒否するようにもなった。つまり、交渉力があがり、時間当たり給与が上がった結果、かえって労働時間が短縮している。

僕以外にも多くの医者が、これに近い経験をしている。たぶん、これまでよりも少なく働いても十分な給与を得られるようになった医師たちが、余暇に目を向けるようになったと言う部分があるのだろうと思う。(より面倒な言い方をすれば、時間当たり給与の上昇は、労働時間を増やして給与を増やすことの限界効用を逓減し、その結果、労働を減らして余暇を増やす選択が合理的となったのだろうと思う)

医局が崩壊し自由市場化した医師転職マーケットは拡大を続けている。そして、医師不足を反映して給与の相場は上がり続けている。にもかかわらず、需給のミスマッチは解消されず、医師不足は改善していない。多分、その理由は右下がりの供給曲線にある。

ひょっとしたら、これが、医療の労働市場において、うまく市場原理が機能しないことがある原因のひとつではないかと思ったりしている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

いま、やろうと思っている商売

スタートしたいと考えている商売。

1、診療、および健康維持のためのソフトウェア開発。

2、「現場の医師の関与」を代替できるような病院向けコンサルタント。

3、医療情報分野に進出したいと考えている会社向けのコンサルタント。

で、スタート直後は、後の二者で経営回すのが先決かなと。

あと、1、については、最近、twitterみたいなミニブログの上でbotを使って行うサービスが面白いのではないかと検討中。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

google chrome addon

google chrome アドオンの作り方のドキュメント読んだ。簡単なことをするだけならfirefoxより大分簡単だけれど、firefoxに比べると、細かな制約もある。

たぶん、設計した人は、chromeのaddonに必要になると思われるミニマムな機能だけをchromeに組み込もうと思ったんだろうと思う。こういうミニマリズムは、いかにもgoogleらしい。

全体に、後発の分だけ、よく研究されていると思う。

何か作ってみようか。

どうせ、firefoxにもあるようなものは、僕よりもできの良いプログラマが作るだろうし「日常の診療に役に立つような何か」とか、「健康の為に役に立つ何か」を作りたい。

まだ、良いアイデアが浮かばないけれど、そのうち思いつくだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

阿呆にならない医者

通常、どんな仕事でも、正しい方向に工夫と努力をすることで、徐々に仕事の効率というのは、あがってくるものだと思う。

当然、その結果、仕事の量に対して、現場で流される汗の量は減っていく。頭を使って悩まなくてはならないことも減っていく。

医療の現場もそういうもので、したがって、通常、医者は、経験をつむにしたがって、怠惰になり、また、阿呆になる。

しかし、中には、阿呆にならない医者っていうのも、存在する。

阿呆にならない医者は、通常、努力家で、また、自分の専門知識を使って、周囲の役に立とうと必死になってくれる。しかし、そういう医者が組織の中でリーダーになると、周りは結構大変。現場では、たいしたことでない普通の治療もデスマーチになってしまう。

もし、あなたが下記のような特徴を満たすならば、あなたは阿呆にならない医者かもしれない。

1、私の知識や診断能力は、他の医者よりも高い。

2、私の技術は、他の医者にはなかなか真似できない。

3、私は生来の努力家である。

4、私は結果よりも過程を重んじる。

5、私は常に忙しい。

6、私は忙しく仕事をしているが、それはいいことだと思う。

7、人から、怒りっぽいと言われる。

8、他の医者にも自分と同じような努力をしてほしいと思う。

9、仕事は、本来、もっと厳しいものであるべきだと思う。

10、仕事を楽しんではいけない。

もし、これに当てはまるひとがいたら、もう少しマイルドになってほしいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「天皇好き」はヤメテ欲しい

天皇絡みでの最近の民主党批判、よくわからん。

分からないのは、2点。
ひとつは、ネットを見てると「天皇好き」が急に増えたような気がすること。
もうひとつは、自民党のリベラル派と思われていた人たちが、「天皇を政治利用するな」みたいなことを行っていること。
正直、なんでこんなことになっているのかよく分からない。

僕は、これまで、天皇っていうのは、ある意味、外交や国政をスマートにするための方便にすぎないんだと、そう思ってきた。そして、それが戦後民主主義の(ということは、自民党内のリベラル派の)暗黙のコンセンサスだと思ってきた。

戦後の日本外交にとっての象徴天皇ってのは、ある意味、中国外交にとってのパンダみたいなもので、言葉は悪いけれども「外人さん接待要員」という部分は絶対ある。もちろん、あんまりはっきりとそういうことを言っては差し障りがあるのだけれど、でも、これまでずっとそういう扱いをしてきたのだし、それが悪いことだとなんて殆どの人は思っていなかったと思う。

先例が破られた?ガイジンさんへのサービスのためとか外圧とかで政府のルールがいきなり変更されるなんて、これまでにもいっぱいあったことじゃないですか。

それを今更、政治利用するなとか、先例を破ってはいけないとかっていっている人たちがネットにも政界にもこんなにいっぱいいるのを見ると、いつから、彼らはそんなに「天皇好き」になったんだろうって気がするのだ。

ネット右翼の皆さんはともかく、自民党は、もし、責任ある2大政党の一方であろうと思うのであれば、「天皇を政治利用するな」なんて、絶対に言ってはいけないと思う。天皇の立場なんて、はじめっから、この上なく政治的なものなんだし、自民党だって、もし再び政権に返り咲いたら、どういうふうに外交の場で「天皇カード」を使うかを決断しなくてはならないのだから。

小沢一郎っていう人は、凄まじいプラグマティストだ。今、彼は、中国に向けて「天皇カード」を使っている。しかも、これまでの天皇訪問の先例を曲げるという、別の「先例無視カード」も同時に使っているわけだ。

これは、日本の新政権が、これまで訪問を断った国々などよりも、とにかく中国を圧倒的に重視しているのだという強いシグナルを送ることになると思う。少なくとも、「一ヶ月ルール」っていうくだらないルールを破っただけにしては、これは、恐ろしくコストパフォーマンスのいい作戦だと思う。

小沢氏の中国重視外交というスタンスに対して賛否はあるだろうけれど、これに対して自民党は「天皇カード」を使ってはいけないなんて言ってはイケナイと思う。それでは民主党に対する対案になっていないもの。たぶん、自民党に必要なのは、「もっと効果的でエゲツない天皇利用方法の提案」とかだと思う。

僕には、「天皇カード」封印っていう意見が、これまで自民党の中ではリベラルに近いと思われていた人にまで広がっていることに非常な違和感がある。あんまり自民党は「天皇好き」なだけのファナティックな右翼政党になってはいけない。このままじゃ、二大政党の一方になるどころか、「憲法好き」の旧社会党みたいになっちまう。

そういうわけで、僕は、今回の天皇の扱い方に関する民主党批判には違和感がある。まして、自民党の議員までがそういうことを言っているのを聞くと、2大政党の先行きに非常な不安を覚える。

皆様、どう思われます?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

医師法を改正して、医師の権限を削減せよ?

ついったーで、「医師法改正して医師の資格の及ぶ範囲を制限せよ」っていう主張をしている人がいて、話を聞いてみても、なんでそういう風に考えているのかはよくわからなくって。

でも、その後でいろいろ考えてみて、医師の権限をある程度抑制することは、細かい問題はあるにせよ、大筋でそれほど悪いことではないのではないかと考えるようになった。

とはいえ、僕の考えた内容と、その人が主張していた内容が一緒なのかはよく分からない。なにせ、僕には、元の人の議論が理解できなかったのだから。だから、以下の内容は、その人の議論とは別に、僕の考えたことということで、ご理解を。

さて、医師の権限の抑制(縮小)が望ましいと思うのは、以下のような問題の解決策として。

問題1:医療の限界
医者の出来ることには、本来、かなり厳しい限界がある。それにも関わらず、医師は、しばしば、それ以上の責任を負わせられる。

問題2:書類仕事の増加
多くの病院で、医師の人数に比べて、その仕事量は大きすぎる。それにも関わらず、特に、書類仕事、つまり、医師が書かなくてはならない書類は増加傾向にある。

問題3:お地蔵さん仕事
医師不足にもかかわらず、僕が「お地蔵さん仕事」と呼んでいるようなバイト仕事がある。「お地蔵さん仕事」っていうのは、大量の書類にハンコを押すだけとか、その場に座っているだけとかの「仕事」。たぶん、大抵の医者が、研修医時代にそういうバイトをやったことがあるんじゃないかと思う。医者向け転職サイトとかをみていると、相変わらず、そういう仕事は多いみたいだ。

たぶん、「お地蔵さん仕事」が多いってことは、医者がチェックしたとか立ちあったっていう証拠のハンコが欲しいっていう場面が世の中では結構多いということなんだろう。病院で書かなくてはいけない書類ってのが多いのも、同じことなんだろうと思う。

たぶん、企業だったり、役所だったり、医学的なリスクがあるかもしれない何かをしようとしている人や団体が、医学的な問題についての責任を回避するために、医者に頼んで書類にサインをもらうとか現場に立ちあってもらうかとかするっていうスキームが、現代医療の歴史のどこかの段階で普及したんだろうとと思う。

そういう書類の中には、厳密には、医学的に責任をもちようがない書類も結構あって、そういうものに僕たちがサインしていることも結構あるとおもうんだけれど、それは、多分、そういう書類が普及しつつあった時代には、万一トラブルが発生しても書類にサインした医者に訴訟沙汰とかのような面倒が及ぶことがほとんど無かったということなんだろうと思う。

その一方、書類を書かせた人は、その書類を書かせることで、当然、ある種の免責が得られるのだろうと思うのだけれど。そういう意味では、書類を書かせる立場の人にとって、医者のサインは、保険会社の安価な代用品として使われているということなんだろうと思う。

多分、リスク回避を求める人達が、医師に「免罪符」を求めることで、「医師の資格の及ぶ範囲」は広がり続け、「保険としての書類」は増え続けていて、それは、医師が本来保証できることよりもかなり大きくなっている。

たぶん、今後、「保険としての書類」があるところでトラブルが発生した場合、安易にサインした医師が責任を追求されて訴訟の対象になることは、増えることはあっても、減ることはないだろう。医師が、サインすることで背負うリスクの回避を求めるならば、そういう「書類にサインする」権限も返上しなくてはならないと思う。

たぶん、本来、「医学的に保証できない問題」のリスク回避をするために必要なのは、医者のサインなんかじゃなくて、金融屋さんが設計するような本物の保険なんだろうと思う。

たぶん、何らかの方法で、医者の責任と権限が及ぶ範囲を、本来、医学的に責任を持てる範囲に制限することができれば、この種の面倒な書類仕事の一部はなくなり、医者は、本来するべき治療に専念できると同時に、限界を超えた責任を負わなくてもよくなる、かもしれない。

そういう状況は悪くないと思う。ただ、「医学的に責任をもてる範囲」というのが、絶えず変化し続けていることを考えると、「医師法の改正」で、こういう事をするのは、あまりいい手ではないと思うけれども。

たぶん、書類の「医学的な責任の持ちにくさ」みたいなものを可視化することで、問題は解決すると思う。

たとえば、保険会社が「医学的に責任を持てない書類の免責保険」のようなものを売り出すと問題は解決するのではないかと思う。変な書類にサインして、あとで、医者が責任を追求された場合であっても、その損害分を支払ってくれる保険。ただし、あんまり変な種類の書類にサインする医者は、当然、保険会社に毎年払わなくてはならない保険証が上がるという仕掛け。

みなさん、どう思います?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アクセス急増

なんだが、昨日、勝間和代って書いただけで、アクセス急増した。
彼女、そんなに人気があったのか。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「当直専門医」のこと

2ヶ月ほど前まで、近くの病院に当直バイトに行くとよく見かけた医者で、なんでもできる全科当直医ってのがいた。

どんな診療科でも診察できるので、当直の時に一緒にいてくれるとものすごく助かる人だった。

その医者、もともと、この近所の結構大きな病院の救命救急やってた人で、で、3年ほど前に疲れはてて退職して、それで開業しようとしたらしい。

で、開業したんだけれど、開業したはじめの頃は結構なローンとかリース契約とか組んでる割に固定の患者もいなくて経営も不安定だったもんだから、土曜とか日曜の夜に近くの病院の当直バイトやってたみたい。

それから3年、相変わらず固定の患者はあんまりいなくて、いつのまにか近所の病院の「当直専門医師」みたいになってしまった。

はじめてその人と一緒に当直したとき、そのレパートリーの広さに驚いた。

その人、ほとんど全部の科の患者を診察できるのだ。しかも、自信を持ってテキパキと。夜間救急の患者を捌くスピードは異常に速い。
で、どうにか、その技を真似したくて、時々横目で見てたのが、半年くらい前のこと。

見ているうちに、彼の意思決定が圧倒的に早くて、しかも、多くの分野の患者を見ることができるのは、実は、診断も治療もしようとしていないからだということに気がついた。

彼がやっていたのは、つまるところ「治療」というよりも、翌日朝、専門医に渡すまで「維持」することだったみたいだ。

もちろん、夜間の2次救急でできることなんて、どんな医者にとってもたかが知れている。どんな医者にとっても、「維持」が目的にならざるをえないことは多いんだけれど、彼の場合、徹底的に「維持」だけでいいと割り切っているようだった。

救急でできることって、結局、救急で少人数でできる程度の、しかも馬鹿の一つ覚えみたいな、テンプレートみたいな「治療」にならざるをえないことが多いんだけれど、彼のやり方は、徹底的にテンプレート治療だけ。

で、当然、「維持」が目的だから、「診断」する気もなくて、治療開始前に、テンプレート治療で「維持」できそうかどうかを判定するだけ。この「判定」でヤバそうだったやつは、後方の3次救急にまわる。ただそれだけ。

でも、それが、真似できない。あの技術があれば、当直がかなり楽できるのにって思って、技を盗もうとしていたんだけれど、なかなか真似できない。
案外難しい職人芸だったようだ。

一方、その技は、あんまり、昼間の「治療」には役に立たないみたいだというのも、彼を見ていてわかったりもした。

多分、あれは僕の知っている通常の医学の知識を組み替えたもの。「維持」以上のことを求めなければ、かなりの情報収集や判断を省略できる。また、診断や治療に関する知識を大部分省略できるなら、そのぶん普通の医師よりもかなり広範囲の症例に対応出来る、
ということのようだ。

要するに、件の医者は、病気の治療の方法はよく知らないし、診断の方法もよく知らないのだ。でも、翌日まで「悪くならない」ようにする方法だけは、ほとんどずべての分野について把握している。
というわけ。

「なおす」よりも「悪くならない」だけのほうが、遥かに簡単だから、それに特化してしまえば、普通の医者が「なおす」より多くの分野の患者を「悪くならない」ようにできる。しかも、「なおす」を目指している医者より簡単な分だけ、仕事が速い。

彼は、自分だけではほとんど治療はできないんだけれど、そいつに任せておけば短時間であれば完璧に「防御」できるっていう能力は、夜間の手薄な病院では、非常に重宝する。

もっとも、言うは易し、行うは難し。

ぼくも、少しは「維持」に特化した方法論も見につけようとトライしてみたけれど、ぼくには、ほとんどできなかった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

自己責任、されど、人に頼るのも芸のうち(勝間和代のこと、3)

これの続き

勝間さんのような、自立した生き方、基本的に嫌いじゃない。とはいえ、そればっかりだとシンドいことがあるのも事実。

さて、そういうわけで、この問題についての、僕の考え方をまとめておくことにする。

自立して自分の意志で生きることは非常に大切。そのために工夫や努力をすることは非常に有益。しかし、その一方で、自分の力では解決できない問題に直面して、人に頼らなくてはいけないことってのは、現実問題として、ある。

そういう、人に頼らなくてはならないときがあることを考えたら、頼り上手、お願い上手、愚痴り上手であることも、人生を生きるための芸のうちだと思う。

また、人に頼らなくてはならないときに、「自立して生きる」戦略は、とりあえず放棄するほうが楽。そうしないと、人に頼ることで罪悪感を持っちゃうことがあるから。

楽になってから、また、「自立」を目指せばいい。

勝間さんの生き方みたいなのは、自分だけでは生きていけないくらい苦しい立場の人、あんまり真似しない方がいいよ。人に頼って生きるのも芸のうち。

でも、本当に苦しい時を抜けたら、その時は、自立して生きるために頑張るのも悪くないと思う。

気楽に行こうぜ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勝間和代のこと2

先に上げた勝間和代についてのエントリー。もとはついったーで今朝書いたものをまとめたものなんだけれど、あれを書いたあと、アンチ勝間っぽい方々から、結構な賛同があった。

書かれた賛同のつぶやきやメッセージってのは、要するに、勝間さんは、特殊な「富裕層の秀才」であって、普通の人には、たとえ、努力しても、彼女と同じ成功は困難だって、それから、彼女は人間的に薄っぺらで、そういう努力しても報われない人に対する配慮ってのがない。っていいうもの。

ちょっと、戸惑った。というのは、別に僕は、勝間さんの発言とか本とかは、そんなに嫌いじゃないのだ。
というわけで、勝間和代について書いた、今日の午後のつぶやきのまとめ。

勝間和代っていう人は、決して、薄っぺらではないと思う。
たぶん、勝間さんは、ああ見えて、本当は結構な苦労人なんだと思う。
結婚して、離婚して、ワーキングマザーやって、なんて人が、この国で苦労しない訳ないからね。

彼女のスゴさは、そういうことを越えてきて、今があることなんだと思う。でも、その「越える」過程で、愚痴ったり、人に頼ったり、きっと、いっぱいしたはずなんだよね。

あんまり、「やればできる」とかっていって、人気が出すぎると、次にトラブルに巻き込まれたときに愚痴りにくくなっちゃうんじゃないの? っていうわけで、僕は、痛々しい、危なっかしいって思うわけ。

僕が、ちょっと人事ながら心配になるのはそこ。

でも、彼女の考え方、生き方っていうのは、あれはあれでよくわかる。

勝間さんの主張ってのは、「工夫したり努力したりする。」ことが、「経済的にも社会的にも自立して生きていくこと」につながるということ。彼女が「富裕層の秀才」であることは、間違いないのだけれど、この戦略は、他の人にも比較的簡単に真似のできる、再現性が非常に高い戦略だと思う。

彼女の言っていることは、極めてまっとうだと思うよ。

これ、結構難しい問題だと思うけれど、僕の考えは、こっちにまとめた。読んでくれると幸甚。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勝間和代のこと

勝間さん、昔は楽しく読んでいたけれども、最近少し痛々しい。

昔、ポジティブシンキングみたいなこと言ってた自己啓発の人で、なんか、テレビで見たらヤバそげに見えた人がいた。世の中はいいことばかり、私はポジティブに頑張る。みたいなことを言っていた。

なにがヤバそうだったかというと、その人から、なんというか、信者の手前、弱音は言えない。みたいな危なっかしさも感じたんだ。

記憶はっきりしないけれど、たしか、その後、自殺しただったか、行方不明になったんだったか。

ポジティブなのも大切だけれど、たぶん、苦しいときとかネガティブな感情を持ったときに、人にそれを打ち明けられる、愚痴れる、相談できる、頼れる。ってのも心の安定の為には大事な事。

勝間和代だって、今やっているのが実は嫌いな仕事だけど仕方なくやってるだとか、がんばりたいけどやる気がでないとか、実は今は苦しくて誰かにすがりたいとか、そういうこと、あるとおもう。

あの人の立場、たくさんの信者の手前、そういう愚痴を言いにくいんじゃないかなと思うと、ちょっと痛々しい。

実は、産業医してる会社で、「カツマーでうつ病」っていう社員がいて、カツマーであることでよけいに自分を責めてるみたいで、アレなんだよね。

たぶん、苦しいときとか弱い立場に立ったとき、カツマーであることは、よけいに自分に対してポジティブになりにくい原因になるんだと思う。

みなさん、どう思われます?

| | コメント (2) | トラックバック (1)

役職フェチ

なんというか、医師会という組織には、「役職フェチ」という人達がいるっていう話をついったーでしてる人たちがいた。
ぐはは、役職フェチ、わかるわかる。
ライオンズクラブか何かと間違えているような人たち。
いっぱいいる。

役職フェチ。よくわからん名誉職をやたらやりたがって、老後は勲章狙いに行く人種。
わはは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

twitterで新しいニュース配信をいくつか始めた

新しいニュースの一覧

@gnewsjp
一般ニュース

@twithatebu
はてなブックマークの最新のホットエントリー

@kansennewsjp
国内の感染症ニュース

これで、これまでの

@medicalnewsjp
国内の医療関連ニュース

@medicalitnewsjp
国内の医療IT関連ニュース

@iphonenewsjp
一般報道の中でのiPhone関連ニュース

とあわせて、おおむね僕が欲しいニュースをtwitterから入手する環境が整った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドラッグラグの本当の原因とその対策

最近、製薬畑の友人と、薬学部の学生と、3人で食事しながら話したこと。
ドラッグラグ。

ドラッグラグってのは、あれ、海外、たとえばアメリカで使える新薬が、日本では、使えるようになるまでに時間がかかるという問題。
この原因、薬学の学生だとかでも、あんまりよく知らない人が多いらしい。

よく、「ドラッグラグが起こるのは、日本の役所の規制が厳しいから」っていう報道がなされるんだけれど、そんなの、ほとんど関係ないのだ。
実は、日本の役所は、新しい薬の認可に関しては、欧米よりも「ゆるい」印象があるというのは、かの製薬の友人談。
規制も「ゆるい」らしい。僕には、そのあたりの現場感覚は分からないけれど、そんなもんかな、とは思う。

じゃあ、なんで、新しい薬が売られないのか?

役所が規制しているというより、製薬会社が日本では薬を売りたがらないということらしい。

それは、日本では、新しい薬が高く売れないから。

日本では、薬代が高いと、社会的に非難を受けやすい。

貧乏でかわいそうな病気の人にそんな高いお金を請求するなんて、それで彼が薬を買えないなんてかわいそうだ。ってわけ。

ある病気の人がいて、その人の病気を治すためにある薬が必要だとする。で、その治療のための薬が非常に高価だとする。その病気の人は経済的に苦しいせいで、高価な薬を買えない。そういうとき、日本のマスコミは上のような論調になる。

そういう国では、役所は、薬の値段を抑えるように指導せざるを得ない。日本は民主主義だからね。

だから、海外の製薬会社は、日本では、新しい薬を売らない。

日本で安く売ると、他国、たとえばアメリカでも安く売らなくちゃいけなくなるもの。
もちろん、日本で安く売って、アメリカで高い価格設定をするなんていうのも、アメリカの患者が納得できる根拠を示せるなら、問題ない。
たとえば、もし、これが日本でなくてアジアやアフリカの後進国なら、かの国はアメリカに比べて貧しいから仕方が無いという話も通用するかもしれない。

でも、日本では、無理だろうね。

だから、海外の製薬会社は、日本では薬を売りたがらない。

マイケルムーアの「シッコ」で、病気のアメリカ人が、アメリカでは数百ドルする薬が、キューバでもイギリスでも、1ドル以下だということで、ショックを受けていた。

アメリカでは、製薬会社は法外に儲けている。それをあの映画は非難していたけれど、そういう状況は、世界中の製薬会社があの国で新しい、いい薬を売りたいと思う状況を作り出してもいる。

残念ながら、日本で新薬を売りたいと思う製薬会社は、減り続けている。 多くの会社の日本法人は、縮小の一途。

そして、それは、日本以外でも、アメリカ以外のほとんどの国の現実でもある。日本は、実は、国際的にはマシなほうでもあるのだ。

たぶん、僕たちは、次の3つのうちのどれかを受け入れなくてはならない。

1、(アメリカ式)貧乏人は、最新の治療を受けることはできない。もし、最新の治療を受けたければ、家族や親戚を巻き込んで経済的に破たんせざるを得ない。

2、(日本式)新しい薬の恩恵は、我々の国では受けることはできない。

3、貧困層に薬代を払わせず、かつ、製薬会社を儲けさせるため、政府が薬代を代替する。(治療費を代替する目的で)科学技術の進歩に伴って、増税を受け入れなくてないけない。つまり、新しい薬が作られるたびに、消費税が引き上げられる。

僕自身は、最近、新しい薬は少なくなっているし、新薬の恩恵はいらなくなってきているんじゃないかと思う。それは、以前のブログで書いたとおり。

みなさま、どうおもいます?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »