医学

新しい夢の医学よりも古い医学の検証にこそ、公的な支出をして欲しい

某役所が出処らしい将来の医療技術の国家戦略みたいな図を見て、猛烈な違和感を覚えて、それで、このエントリーを書いています。

僕は、新しい医療技術の開発よりも、漢方薬などの古い医療技術の検証にこそ、公的な資金が支出されるべきと思っているからです。

古くからある「医療技術」には、そもそも非科学的なものも多くありますが、おそらく有益な治療法にもかかわらず科学的検証がなされていないもの、そして、制度の問題のせいで民間で科学的な検証をしにくいものが相当あるからです。

新しい治療法が、本当に患者にとって有益なものかを科学的に確かめることは大切な事です。そして、その治療法が有益かどうかを科学的に検討するためには、実際にそれを患者に使ってみたデータをいっぱい集めなくてはなりません。そうして、そのデータを使って、どれくらいの割合の患者が治ったのか、どれくらいの割合の患者に副作用などの問題が発生したかなどを検証します。この調査を「治験」といいます。

この治験には、相当のお金がかかります。でも、この調査は患者にとって重要なことですから、誰かがお金を出さなくてはいけません。

現在の制度では、大雑把な言い方をすると、その誰かにお金を出してもらうために、お金を出してくれた人に、その新しい薬の独占的な販売権を一定期間与えることになっています。お金を出した人は、この独占的な販売権を持っている期間に、薬を売って儲けて自分の出したお金を回収するのです。

この制度は、新しい薬や医療材料については、比較的良く機能しています。

僕が問題にしているのは、漢方薬などの昔から使われている薬については、この制度が、ほとんど機能していないということなのです。

当たり前のことですが、古くから使われている薬だからといって、必ずしも有効で安全というわけではありません。ほとんど迷信に近い民間療法もありますし、効果が疑問のものや、使い方によっては副作用があるものも多くあります。一方で、非常に有益なものも多くあります。

ところが、これについての科学的なデータはあまりないのです。理由は簡単で、調査のために非常にお金がかかるのに、お金を出した人にメリットがないから、です。昔からずっと使われている薬は、すでに多くの会社が作っています。ですから、誰かに独占的な販売権を与えるわけにもいきません。となれば、調査した製薬会社は、調査にかかった費用を自分だけ価格に上乗せするわけにもいきません。一社だけ値段が高ければ、その会社の製品をだれも買ってくれなくなりますから。結果、だれも科学的な調査にお金を出せないのです。

僕は、自分の患者に漢方薬を結構使います。それらの薬を多用する理由は、有効なわりに副作用が少ない(と経験的に思っている)からです。でも、有効で副作用が少ないという「科学的な証拠」はありません。データが無いからです。

上記のような状況なので、この件には民間はほとんどお金を出せません。ですから、ぜひ、公的なお金をこの分野に出して欲しいと思うのです。行政官僚自身が目利きではない、海のものとも山のものとも自分では分からない研究にお金を出すよりも遥かに有益なのではないかと思うのですが、いかがでしょう?

現状では、現場の医師は、「伝統的な治療法の中に、有効にもかかわらず科学的な検証がなされていないものもある」。つまり、「伝統的な治療法は、正統的科学による検証を経ていなくても有益でありうる」ということに否定的になれないのです。そして、我々がそれに否定的になれないということは、怪しげな疑似科学や民間療法ビジネスの温床にもなっていると思っています。

皆さん、どう思われますか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

医師法を改正して、医師の権限を削減せよ?

ついったーで、「医師法改正して医師の資格の及ぶ範囲を制限せよ」っていう主張をしている人がいて、話を聞いてみても、なんでそういう風に考えているのかはよくわからなくって。

でも、その後でいろいろ考えてみて、医師の権限をある程度抑制することは、細かい問題はあるにせよ、大筋でそれほど悪いことではないのではないかと考えるようになった。

とはいえ、僕の考えた内容と、その人が主張していた内容が一緒なのかはよく分からない。なにせ、僕には、元の人の議論が理解できなかったのだから。だから、以下の内容は、その人の議論とは別に、僕の考えたことということで、ご理解を。

さて、医師の権限の抑制(縮小)が望ましいと思うのは、以下のような問題の解決策として。

問題1:医療の限界
医者の出来ることには、本来、かなり厳しい限界がある。それにも関わらず、医師は、しばしば、それ以上の責任を負わせられる。

問題2:書類仕事の増加
多くの病院で、医師の人数に比べて、その仕事量は大きすぎる。それにも関わらず、特に、書類仕事、つまり、医師が書かなくてはならない書類は増加傾向にある。

問題3:お地蔵さん仕事
医師不足にもかかわらず、僕が「お地蔵さん仕事」と呼んでいるようなバイト仕事がある。「お地蔵さん仕事」っていうのは、大量の書類にハンコを押すだけとか、その場に座っているだけとかの「仕事」。たぶん、大抵の医者が、研修医時代にそういうバイトをやったことがあるんじゃないかと思う。医者向け転職サイトとかをみていると、相変わらず、そういう仕事は多いみたいだ。

たぶん、「お地蔵さん仕事」が多いってことは、医者がチェックしたとか立ちあったっていう証拠のハンコが欲しいっていう場面が世の中では結構多いということなんだろう。病院で書かなくてはいけない書類ってのが多いのも、同じことなんだろうと思う。

たぶん、企業だったり、役所だったり、医学的なリスクがあるかもしれない何かをしようとしている人や団体が、医学的な問題についての責任を回避するために、医者に頼んで書類にサインをもらうとか現場に立ちあってもらうかとかするっていうスキームが、現代医療の歴史のどこかの段階で普及したんだろうとと思う。

そういう書類の中には、厳密には、医学的に責任をもちようがない書類も結構あって、そういうものに僕たちがサインしていることも結構あるとおもうんだけれど、それは、多分、そういう書類が普及しつつあった時代には、万一トラブルが発生しても書類にサインした医者に訴訟沙汰とかのような面倒が及ぶことがほとんど無かったということなんだろうと思う。

その一方、書類を書かせた人は、その書類を書かせることで、当然、ある種の免責が得られるのだろうと思うのだけれど。そういう意味では、書類を書かせる立場の人にとって、医者のサインは、保険会社の安価な代用品として使われているということなんだろうと思う。

多分、リスク回避を求める人達が、医師に「免罪符」を求めることで、「医師の資格の及ぶ範囲」は広がり続け、「保険としての書類」は増え続けていて、それは、医師が本来保証できることよりもかなり大きくなっている。

たぶん、今後、「保険としての書類」があるところでトラブルが発生した場合、安易にサインした医師が責任を追求されて訴訟の対象になることは、増えることはあっても、減ることはないだろう。医師が、サインすることで背負うリスクの回避を求めるならば、そういう「書類にサインする」権限も返上しなくてはならないと思う。

たぶん、本来、「医学的に保証できない問題」のリスク回避をするために必要なのは、医者のサインなんかじゃなくて、金融屋さんが設計するような本物の保険なんだろうと思う。

たぶん、何らかの方法で、医者の責任と権限が及ぶ範囲を、本来、医学的に責任を持てる範囲に制限することができれば、この種の面倒な書類仕事の一部はなくなり、医者は、本来するべき治療に専念できると同時に、限界を超えた責任を負わなくてもよくなる、かもしれない。

そういう状況は悪くないと思う。ただ、「医学的に責任をもてる範囲」というのが、絶えず変化し続けていることを考えると、「医師法の改正」で、こういう事をするのは、あまりいい手ではないと思うけれども。

たぶん、書類の「医学的な責任の持ちにくさ」みたいなものを可視化することで、問題は解決すると思う。

たとえば、保険会社が「医学的に責任を持てない書類の免責保険」のようなものを売り出すと問題は解決するのではないかと思う。変な書類にサインして、あとで、医者が責任を追求された場合であっても、その損害分を支払ってくれる保険。ただし、あんまり変な種類の書類にサインする医者は、当然、保険会社に毎年払わなくてはならない保険証が上がるという仕掛け。

みなさん、どう思います?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

抗インフルエンザ薬などの在庫の現状

僕は、いくつかの病院と診療所でバイトしているのだが、そのうちいくつかの医療機関の門前薬局ではそろそろタミフルが欠乏しそう。

先々週くらいから、子供向けのタミフルドライシロップがなくなったところがいくつか。現在は、大人用のタミフルカプセルを割って、それを子供用に巻きなおして、子供用の「タミフル散」を作っている状況。
その大人用のタミフルカプセルも今週中にはなくなる薬局がでてくるかも。
ちなみに、リレンザは早いところでは先々週くらいからなくなりつつある。

インフルエンザ検査キットも今週から来週にかけて足りなくなる見込みだったけれど、うちはなんとか追加で入手できて、当面はインフルエンザの検査ができないという状況は回避できた。でも、やっぱり、早晩不足する事態になることは避けられそうにない。

個人的には、タミフルやリレンザには、別にインフルエンザ重症化の頻度を下げるというエビデンスがあるわけでもないし、なかったらなかったで困らないという気もする。
インフルエンザ検査キットだって、そんなものができたのはつい最近のこと。それまでは、そんなものはなかったけれど、それでも、医師の診察だけで、それなりの診断精度でインフルエンザの診断をしていた。

本当に必要な薬とか検査ってのは何なのか、社会全体として改めて考えてみるいい機会になるかもしれない。

経験のある医者なら、検査キットがなくたって、インフルエンザの診断くらいそれなりの精度でできる。それに、そういう人であれば、今後、本当に薬がなくなったとしても、それなりの治療はできるはずだから。

面倒なのは、「インフルエンザ検査」とか「インフルエンザ治療薬」というものがないと、混乱したり、困る立場に立たされる患者がいること。
別に、その患者が悪いわけでもなくて、会社とか学校とかで、発熱していたら必ず医者で「インフルエンザの検査」を受けてきてくださいって言われている人がいっぱいいる。
そういう人は、検査キットがない診療所で、「ほぼ間違いなくインフルエンザです」って診断されて、タミフルもらって、それでも、会社から言われているからっていって、他の病院にいって検査してもらわなくちゃって。。。

当然、そんな人が動きまわれば、余計に周囲にインフルエンザを蔓延させるわけで。

僕たちの社会、学校とか会社とかは、なんというか、医学に対しても、数字とか、マルバツがでてくるような検査を前提にしていることが多くなっていて、それを、過剰に信用する傾向にあるよう。
本当はもちろん、そんな検査は、結構エラーも多いし、過信してはいけないんだけれど。
そして、その代わり、そういう検査よりも、時に正確ですらある、経験に基づく直感とか、職人芸とか、そういうものを扱うのが苦手になった様子。

それは、たぶん、そういう機関が、「結果」をなんらかの記録にして残さなくちゃいけない都合上、定型的なフォーマットに収まりにくいものを扱いにくくなっているっていうことなんだと思う。

たぶん、これは、医療だけの問題ではなくて、他の分野でも同じじゃないかとも思うんだけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シャングリラ・ダイエット3(11月14日~25日)

シャングリラ・ダイエット2の続き

14日からスタートしたピュアオリーブオイルも昨日で11日となった。
体重の増減は、マイナス2.1kg。
効いているのかな?
キャノーラオイルの時の成績(9日間でプラス1.8kg)に比べると、いい成績のように見える。
ただ、少し気になるのは、キャノーラオイルに比べてピュアオリーブオイルのほうが味が濃く感じられること。
キャノーラオイルはほとんど無味だったが、ピュアオリーブオイルはわずかなオリーブオイルの香りと風味を感じる。

セス・ロバーツの仮説に従うと、接種するオイルに風味がないことが食欲抑制と体重減少に必要なはずである。それなのに、より「味の濃い」オイルでのほうが効果があるように見えるのはどういうことだろう?

仮説1、有意差あり:ピュアオリーブオイルは、キャノーラオイルより味が濃いにもかかわらず、より体重を減少させる。
この仮説が正しいとしたら、オイルの味は、オイルによる食欲抑制効果の強さにはあまり関係ない(少なくとも、オイルの味よりも重要なファクターが存在する)ということになる。
これは、十分にありうることだと思う。
これは、たとえば、キャノーラオイルに含まれる脂質とオリーブオイルに含まれる脂質の吸収の速度が大きく異なるといったことが関係しているのかもしれない。あるいは、オリーブオイルにのみ含まれるなんらかの物質が、食欲抑制の作用を持っているのかもしれない。
もしそうであれば、セス・ロバーツの仮説は、この点で若干の修正を必要とするかもしれない。

仮説2、有意差なし、いずれも効果あり:ピュアオリーブオイルは、キャノーラオイルに比べて若干味が濃いが、その違いは食欲抑制の効果に影響するほどの違いではない。したがって、いずれのオイルも同程度の食欲抑制の効果がある。
これも十分ありうる話。
セス・ロバーツの仮説が正しければ、当然こうでなくてはならない。

仮説3、有意差なし、いずれも効果なし:ピュアオリーブオイルも、キャノーラオイルも、少なくとも僕の体重減少には寄与しない。
これもありうる話。
セス・ロバーツの仮説が間違っていた場合には、当然こうなるだろう。
また、セス・ロバーツの仮説が大筋で正しかったとしても、僕のように若干の脂質代謝異常があるばあいには、いずれのオイルも効果が期待しにくくなるというのは十分にありうると思う。また、現在、体重減少の停滞期にあるため、たまたま、いずれのオイルも効果が期待しにくいのかもしれない。

さて、今回のオイルの違いが起こした体重変化の違いは有意なものであるかどうか、というのがまず問題なのだけれど、それについては僕の体でのデータだけではわかりようがないと思う。
でも、
1、もし、僕の体が脂質代謝異常あるいは体重減少の停滞期などの理由でオイルによる食欲抑制だけが期待できないのであれば、再び砂糖による食欲抑制を試みた場合には体重の減少が観察されるはずである。
また、
2、もし、キャノーラオイルでは食欲抑制を期待できないが、(味の濃さにもかかわらず)オリーブオイルでは食欲抑制が起こるというのであれば、(より味の濃い)エクストラバージンオリーブオイルを接種した場合にも体重減少が観察されるはずである。
と思う。

というわけで、
次の10日間は、再び砂糖摂取による食欲抑制を試みる。
さらに次の10日間で、今度は、エクストラバージンオリーブオイルによる食欲抑制を試みる。
ということにしようと思う。

早速本日(26日)から、砂糖摂取(200kcal相当)を開始した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Twitterで医療IT関連ニュースを流すアカウントを作った

さて、さらに同工異曲なのだが、医療、医学関係のIT、インターネット、ソーシャルメディアの利用に関するニュースをつぶやくことにした。
@medicalitnewsjp
にて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Twitterで医療業界ニュースを流すアカウントを作った

Twitterで医療ニュースをつぶやくアカウントを作った。アカウント名は@medicalnewsjp

基本的には、日本国内の一般メディアのウェブページで、医療、医学関連のニュースが報じられると、それへのリンク入りでつぶやくというもの。

以前、ついったーについては、RSSリーダーの代わりとして使っていたのだけれど、単純なRSSリーダーとしてはあんまり使い勝手がよくなくて、最近は、またGoogleReaderに戻って放置していた。
でも、どうも、Twitterの世界には、いわゆるニュースサイトみたいなものが足りないと思い、自分が関心のある分野についてニュースをつぶやくアカウントを作ると、他の人にも重宝するのではないかと思い、今回のものの作製することになった。

ちなみに、今回のもののバックエンドは、twitterfeed, feedburner, Yahoo! Pipesでできている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

実は、ウィンドウズ95のUIは、マックより遥かに優れていた。




ブログネタ: あなたにとってWindowsの魅力ってなに?count


ここから書きます↓

すくなくとも、ある種のユーザーに対しては、当時のウィンドウズ95のインターフェースは、もっとも適したものだったのだろ思うようになった。
もちろん、歴代のマックOSなんかと比べても、遥かに優れている。
そう思うようになった。

僕は、ウィンドウズ95よりも昔からウィンドウズとDOSを使っていたけれど、そのころ、ウィンドウズってのは、なんとなく、マックに比べてかっこ悪かった。
ウィンドウズのパワーユーザーも含めて、ウィンドウズってのは、結局のところマックのできの悪いコピーでしかなくて、マックのほうが直感的な操作ができて、デザインが垢抜けていて、そうそう、ウィンドウズはマッキントッシュと違って「魂がない」なんて言われ方もしていた。

でも、憧れのマックは値段が高くって、なかなか買えなくって、「代用品」としてのウィンドウズを使っているうちに、いつの間にか、日常的に使うソフトなんかのマック版は姿を消していって、、、

結局、僕の初めてのマックは、仕事でUNIXのソフトウェアを動かさなくちゃいけなくなって購入したOSXになった。

それ以降、マックもウィンドウズも、両方使っているんだけれど、いろいろいじくってみて、マックのほうが直感的でセンスもいいなぁとずっと思っていたところ、最近、思いがけないウィンドウズのよさを見つけて、ウィンドウズを、特に、ウィンドウズ95を見直している。

最近、このブログにも書いたことだけれど、とある医療関連ソフトウェアのユーザーインターフェイスの設計を引き受けた。このソフトウェアは、業務用に使われるものなんだけれど、このソフトウェアの使われる職場は、以下のような特徴があった。


  1. この業務に携わる人たちの労働市場はきわめて流動的で、したがって、このソフトウェアのユーザーは、頻繁に転職をくりかえす。

  2. 転職してきたばかりの新人は、ソフトウェアの使い方を覚えるまでは、ほとんど仕事ができない。

  3. したがって、ソフトウェアの操作を覚えるために必要な期間が長いと、実際に業務に携わることができない従業員を作ることになる。つまり、操作を簡単に覚えられるものを使うことで、効率を引き上げることができる。

  4. また、十分にソフトウェアの使い方を覚えた従業員も、ひとつの職場に定着することは少なく、結果、うろ覚えでソフトウェアを使っている者が多い。

  5. したがって、操作するために覚えなくてはならない項目を減らすことで、操作ミスに起因する事故を防ぐことになる。

  6. このソフトウェアでする仕事の中には、いくつか、相当複雑な手順を必要とする操作がある。しかし、その操作は、それほど頻繁に行うわけではない。

  7. 今回、ベンダーは、ユーザーサポートにかける予算がほとんど用意できない。

  8. したがって、ユーザーには、操作方法がわからないという思いをさせてはならない。

そんなわけ。僕は、使いやすいインターフェイスといえば、つまり、「直感的」で、「センスのいい」デザインがいいとおもって、で、「直感的」、つまり、アイコンで、直接操作できるような感覚を大事にしたいと思って、で、できるだけ「センスのいい」デザイン、つまり、マックとかiPodとかでよく見かけるアイコンとかメニューのデザインをパクッて使うつもりだった。センスがいいのはアップルだと思っていたからね。

で、そういうデザインを紙に書いて、ペーパープロトタイピングしてみたんだけれど、あんまり、テストユーザーの反応が芳しくない。

「直感的」なはずなんだけれど、みんな、はじめてみると使い方がよくわからないみたいなんだ。

いろいろ試行錯誤して、わかったこと。

  1. 「直感的」に利用できるためには、そもそも、操作する対象について、ユーザーが心理的なモデルを持っていなくてはならない。「はじめてそのカテゴリのソフトウェアを使う人が説明なしでも使える」ことを目標にするならば、「直感的」であることに頼ってはいけない。
  2. 「直感的」であることに頼る代わりにウィザードを用意するとよい。特に、はじめての操作、あまり頻繁でない操作が複雑な場合、たとえ冗長に感じられてもウィザードを用意すべきである。
  3. はじめてソフトウェアを見た人が使いやすいために、画面上にあるものは、クリックできるものなのか、そうでないものか、見た目でわかるようでなければならない。クリックできるものは、可能な限りボタンらしく、四角くて出っ張って見えるものだと良い。丸みを帯びたデザインに比べて無骨なデザインになるが、やむをえない。無骨な四角という前提の範囲内で可能な限りかっこよくするべきである。
  4. ボタンは、何をするためのボタンなのか「何をするためのボタンなのか」初見者にわかりやすく書かれているべきである。その際、そのボタンの機能を表すアイコンは、あまり役に立たないことが多い。絵文字は、心理的なモデルに依存することが多く、また、誤解を招きやすい。
  5. したがって、そのボタンの機能を言葉で書くべきである。「スタート」ボタンとか、「削除」ボタンのように。こうすることで、ボタンの機能について誤解を少なくできるし、また、操作方法について、実演しなくても言葉で説明できる。

というわけで、マック風デザインは、大幅な変更を余儀なくさせられ、いつのまにか、ほとんど、ウィンドウズ95風クラシックデザインになってしまった。
僕の記憶が正しければ、はじめてウィザード(あるいは、アシスタント)を大規模に採用したのも、「スタート」ボタンを採用したのもウィンドウズ95だ。

当時は、こういうのは、ダサいと思っていた。直感的で直接にオブジェクトを操作できる(ように見える)インターフェイスにくらべて、ウィザードは、アドホックで安直な解決策に思えたし、角ばったデザインは、無骨で重苦しく感じられた。簡潔でポップな絵文字に比べて、日本語がかかれたボタンはゴチャゴチャしてセンスが悪く感じられた。

でも、あのデザインは、少なくとも、「その種類のソフトウェアをはじめて見る人」にとっては、大変に優れたデザインだったんだと思う。たぶん、あの当時、ウィンドウズ95が想定した典型的ユーザーは、「これまでグラフィカルユーザーインターフェイスというものを触ったことがないユーザー」だったんだろうとおもう。

たぶん、ウィンドウズ95のデザインのミッションは、あのOSを立ち上げることがパソコン初経験になるというような人が、大きな問題を経験することなく「パソコンユーザー」になれるようにする、ということだったんじゃないか?

その後の状況の流れを考えると、たぶん、その狙いは、完全に当たっていたのではないかと思うのだ。
あれから15年たって初めて、あのころのマイクロソフトのデザインのすごさに気づいた。そういう自分の鈍さにため息が出る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

診療所用の電子カルテの最小構成のメモ

ここしばらくで、診療所用の電子カルテをカスタマイズ不要にするために、「電子カルテの最小構成」について、考えてみる。
ここで言っている、「最小構成」というのは、オプション機能を取り除いた「最小限必要な機能のセット」という意味ではなくて、「診療所のスタイルにかかわらず必要な構成」のこと。違いがわかりにくいか?

こんなこと考えている理由は、
1、電子カルテをカスタマイズするのには、結構なコストがかかる。
2、そこで、多くのベンダーが、可能な限りカスタマイズをしなくてもすむ構成を考えている。
3、でも、病院や診療所のサービスや経営のスタイルはさまざまなので、それにあわせて、多少のカスタマイズは必要なことが多い。
3、ところで、実のところ、多く売られている電子カルテには、不要、あるいは冗長な機能が多い
4、冗長な機能と受け取られがちなのは、結局、カスタマイズが必要な部分になることが多くて。。。

というわけで、「システムを使うための最小限の機能」という、「最小構成」ではなくて、「ほとんどの診療所のサービスや経営のスタイルで、カスタマイズしないで使えるような機能のセット」、つまり「最大公約数構成」のような意味の「最小構成」を検討してみた。

たぶん、
1、レセコン部分
公費治療のための医事システムってのは、どこでも必須の機能。
2、医師入力部分
結局、レセコン入力を、医師が診察室で済ませてしまうって言うのが、電子カルテのキモなわけで
3、受付部分
診察室に入る前に受付を済ませるというのは、まあ、普通の診療所では当たり前なわけで、とすると、そのときに、カルテの表書きだのなんだのってのは、処理してもらいたい。
4、検査伝票、処方箋などのプリントアウト
5、処置用に看護師が見る支持受け端末
くらいを使うのが、最小のユースケース。

とすると、多分、あれとかこれとかは不要になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ママネットによるインフルエンザの集団発生対策

「厚労省よりも保険所よりも、お母さんのネットワークのほうが、ずっと頼りになるよね。」
「いっそのこと、お母さんたちにtwitter使ってもらったほうが、役所よりも役に立つんじゃない?」
先日、子供の患者を多く診ている医者仲間同士で呑んでいて、誰とはなしに言い出した。
何の話かというとインフルエンザのクラスターサーベイランスの話。

今年7月、厚生労働省から新型インフルエンザの届出基準についての改正省令が公布された。
内容は、新型インフルエンザ患者の全数把握を終了して、今後は集団発生の調査(クラスターサーベイランス)を行うというものだった。

とはいえ、その時点より2ヶ月以上前の5月半ばの時点で、とっくに医療現場では新型インフルエンザの全数把握なんてできなくなっていた。そのころには、「らしい」患者について保険所に届け出ても、
「季節性の通常のインフルエンザとして対応してください」
って回答しか帰ってこなくなった。
すでに保険所も体力の限界に達していたのだ。

だから、その時点で、全数把握なんてのは、すでに厚労省の大本営発表の中にしか存在しないものになっていた。

7月の時点で、ようやく全数把握は無理だったと現状を追認した厚労省大本営がかわりに打ち出したのが、集団調査(クラスターサーベイランス)。

これは、インフルエンザ患者を一人一人を把握できなくても、せめてインフルエンザが集団で発生した場合だけでも早期に把握して対策をとろうというもの。
医療機関には、インフルエンザの集団発生が起きた地域や集団について、保険所から早い段階で連絡が入るということになった。

でも、この新体制ってのが、グダグダすぎて、さっぱり役に立たない代物。

いまのところ、新型インフルエンザの患者のほとんどは学校に通っている子供なので、集団発生というと、要するに
「どの学校の生徒の間で、どれくらい流行っているか」
または、
「今後、どの学校で流行しそうか」
という話が早くにわかればうれしいわけだ。
そういう話が現場の医者に早く伝われば、そういった事前情報を手がかりにして、より正確に診断できるようになる。それに、子供たちにも、そのお母さんたちにも早めに注意を喚起することができる。

でも、この保険所から入ってくる情報ってのが、これが情報が遅すぎて役に立たない。

それもそのはず、この情報、
学校で流行した場合、
学校のクラスで流行 -> 担任の先生が流行に気がつく -> 校長の名前で教育委員会に報告 -> 教育委員会から保険所に連絡 -> 保険所から各医療機関に通知
とかいうダラダラしたルートで伝わってくるもので、とても、「早期の連絡」とはいかないのだ。

では、早期のうちにインフルエンザの集団発生を知ることはできないのか?

保険所からの流行通知にかわって、多くの医者が必然的に採用するに至ったのが、ママネットワークからの流行通知である。

「先生、Dくんのお母さんから聞いたんですけれど、M小学校で、インフルエンザの患者が増えているらしいんですよ。」
「うちの子が通っているピアノ教室、M小学校の子が多いのよ。心配だから、休ませようかと思っているんですけど。」

「先生、この子の熱、インフルエンザじゃないでしょうか?調べてもらえませんか?」
「K小学校の、うちの子のクラスでは、駅前の学習塾に通っている子がいっぱいいるんです。ホラ、あの学習塾に通っている子って、ほとんどM小学校でしょう?だからM小学校の次は、きっとK小学校で流行るんじゃないかと思うんですよ。それに、今日、その塾に通っている子が二人、学校休んだらしいんですよ。イエ、その子達がインフルエンザかどうかは聞いてないんですけれど。」

役所からの情報に期待できない我々としては、過剰な心配をしているママたちをなだめつつ、どこで、どれくらいインフルエンザが流行しているのかの情報と、さらに、次はどこで流行しそうなのかの予想を入手するわけだ。

このママたちのネットワークの情報と予想が馬鹿にならない。
お役所の通知よりも圧倒的に早くて、しかも、かなり正確なのである。

お母さんたちの中には、一定数の、教育熱心な、いわゆる教育ママがいて、そういう人たちは、常に、同じような教育ママたちと、情報を交換し合っている。それは、たとえば、良い先生がいて月謝が安い塾はどこなのか、どの塾にどういう子が通っているのか、そういう情報。彼女たちの頭の中では、教育というのは、そういった情報戦なのである。

その彼女たちは、子供たちが学校や塾を通じて形成するネットワークのクラスターを正確に把握しており、また、彼女たち自身が今回のインフルエンザ流行についてのウワサを伝える地域の人的ネットワークのハブでもある。
彼女たちの情報力をナメてはいけない。

お役所ごときが勝てる相手ではないのだ。

そういうわけで、彼女らのネットワークの伝える情報を可視化できたならば、ひょっとしたら、厚生労働省のクラスターサーベイランスなどより遥かに便利なママネットワークによるクラスターサーベイランスができるのではないかと、彼女らの情報に頼りきっている我々は、焼酎水割りを片手に語り合ったのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「自動診断ソフトウェア」の悲劇1

学会とかでもいろいろ発表したネタだし、知っている人は知っていることなんだけれど、僕は、3年前から昨年にかけて、医者のかわりに「診断」をしてくれる「自動診断システム」を作っていた。
この自動診断システムはウェブで動く、プライマリケアに特化したシステム。
なにか体調が悪くて、でも医者にかかるほどでもないからネットで調べたいって思っているような人がターゲット。

このシステムの動作について簡単に説明すると、


  1. まず、ユーザーは、自分の年齢、性別、最もつらい症状を、フォームに入力する。
  2. すると、システムは、その制約の中で、可能性の高い疾患を確率順に列挙し、また、疾患を絞り込むために質問を生成する。
  3. ユーザーが質問に回答すると、システムはその質問の結果を使って、さらに疾患を絞り込み、質問を繰りかえす。
  4. かんたんな質問だけで、これ以上、可能性の高い疾患を絞り込めなくなったら質問を終了する。
    という動作をするシステム。

これだけで、プライマリケアでの正診率は、おおむね80~95%に達する。

ベンチマークとして、医師国家試験の臨床実地問題を解かせてみると、おおむね、75~80%程度程度の正答率になる。医師国家試験では、ボーダーラインは60%台なので、これは、コンピュータのソフトウェアが、国家試験に合格する(可能性が高い)レベルに達しているということを意味している。この成績は、実は、この種のソフトウェアとしては、ほとんど最高レベルである。

医師国家試験に合格するレベルの自動診断システムっていうと、みんな、すごいっていってくれたんだけれど、とはいえ、このシステムは、特別複雑なことをしていたわけではない。推論エンジンは、単純なベイズ推論、つまり、その年齢、性別で「よくある病気」の症状にあてはまらないか質問するだけの安直な推論でしかなかったし、推論のためのデータは、ネットで自動で集めただけ。
データ収集は、どうやったのかというと、


  1. このサイトを使う前には、このソフトウェアは、医師の代わりになるものではないので、なにかあったら必ず医師に相談するようにメッセージを出す。
  2. このサイトから離れる際に、ふたたび、メッセージを表示する。内容は、なにかあったら必ず医師に相談してほしいこと、また、このシステムを改善する目的で、受診した医師が行った診断についてメールで質問することがあること、その際、同意いただけるならば、質問には答えてほしいことの3点。
  3. システムの利用者には、システム利用から1週間後に、その後、医療機関に受診したか、もし、受診したならば、どのような診断をされたか、質問する。

この質問の結果をそれそれの疾患に罹患した際に各症状が起こる確率をしめす基礎データとして推論に使った。特別なデータクレンジングなどの操作はしなかった。

さて、このシステムの話をすると、


  • 一般の人に話すと、たいてい、このシステムの精度、つまり、「医師国家試験に合格する水準」という点に素直に驚いてくれた。
  • 統計やデータマイニングの専門家に話すと、このシステムが、データクレンジングなどの操作をさっぱりしていないこと、それにもかかわらず、それなりの精度を持っていることに驚いてくれた。
  • 医師に話すと、ほとんどの医師は驚かなかった。特に、システムの推論メカニズムについて話すと、「ま、俺たち人間の医者がやってることも、そんなもんだろ。」って反応が一般的。

ここまでの経緯から僕が得た教訓

  1. 人工知能やエキスパートシステムなど、過去のコンピュータ技術で使われた方法論のうちで、使い物にならないとされたものは多い。でも、それらの多くは、当時のハードウェアでは使い物にならないとみなされただけに過ぎない。現在のハードウェアの計算能力と記憶容量を利用すれば、案外使えるものも多い。
  2. ネットの生のデータは、きちんとデータクレンジングしないと使えないというのが常識。たとえば、ユーザーが間違えて入力したり、時には故意にウソのデータを入れたりするから。でも、これは状況によっては正しくない。
    • たとえば、専門的な「病名」などについては、ユーザーは入力時に間違いを犯しやすいのだけれど、でも、事前に、「診断名を質問するよ」って伝えておくことで、記憶違いなどは、相当抑制できる。
    • また、体の調子が悪くて、どうすればいいかネットで調べたい人は、ウソのデータで検索したりはしない。

  3. そういう社会的、心理的方法を十分に配慮したら、データクレンジングはほとんど不要になり、自動化できる部分をふやすことができる。
  4. 実のところ、医者のやっている推論は、そう複雑な推論ではない。そして、ほとんどの医者がそれを知っているし、それを指摘されても不快には思わない。
  5. にもかかわらず、医療関係でない人たちは、医者のしている「診断」を実際以上に専門的で複雑な推論だと思っている。

次回、このシステムの開発の悲劇的結末について(いずれ書く)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)